「水域創世」

Aquacatという方のYOUTUBE

すげえおもしろいのでずっとみている

もともとみはじめたのは

睡蓮鉢で信州で野外で年間を通してメダカを育てられるか

というやつ

氷が張ったりしても生きている

そしてついにこの人は庭というか耕作放棄畑に

穴掘って池をつくりそこでビオトープ化させてメダカを

育てるのをはじめるがこれがまた難しい

しかしこの人はアクアリストというやつで最初は水槽で

さんざん魚を育ててそのキャリアも長く知識もあるのだった

水槽というのは一種のサンクチュアリ

動物と植物がいれば交互に酸素と二酸化炭素をやりとりできるし

貝がいれば水もきれいになるんだってさ

 

二枚貝は水質を浄化する へえ

 

香港

北京政府は香港を言論の自由のない国とした

のが2020

 

隣国のこととはいっていられない

 

日本の行政府にも言論の自由などないほうがいいと

思っている輩がいるので

 

日本もまたそうなるかもしれない

 

わずか80年くらい前には日本には実質言論の自由

なかった

 

なくすることはかんたんにできてしまう

 

それはおそろしいことだが事実なので

 

21世紀はちっともいいことが起こらない

 

プーチンのように独裁をやめないやつがいて

 

独裁者同士は仲がいいよね

 

しかしこの地球から出ていくわけにもいかない

 

せめてやりたいことをやろうと思う

何がやりたいのかとずっと考えていたが

オレのやりたいことは他人の思惑と関係なく

オレがオレのすることをするということだとだんだん

わかってきた

いきたい旅行にいく

やりたい職業をやる

身に着けたいスキルを身に着ける

そして確定申告をする

たとえば農業者は職業「農業」であって

収入は産品を売った金になると思うのだが

金銭ね

経費はどこまでどのくらい認められるのだろうか>>?

農業法人の設立はNPOよりもさらにハードル高いみたいだ)

とにかく雇われではない立場に立ちたいのよ

それはもちろん不安もあるだろうが

もう50も過ぎたし

途中で倒れたとしてもそれはそれで50まで生きたら

あとはいいだろうべつに

手に入らないものは一生手に入らないが

それは誰の人生でも同じで

すべてを手に入れられる人はいない

altanatives

代替案

 

なにかのかわりになにかがあって

同時に両方は選択できない

自由にはそれなりの条件が必要

大雨

またことしも大雨になり

熊本では球磨川が氾濫し

土砂崩れその他

濁流は家を押し流した

 

大雨と洪水はほんとうにひとごとではなく

あれは2016だっただろうか秋のはじめの台風10号

宮古市をおそってうちの事業所も水害で

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%88%9028%E5%B9%B4%E5%8F%B0%E9%A2%A8%E7%AC%AC10%E5%8F%B7

 

あれの後始末は年末までかかった

ほんとうに困ることだらけ

よくもまあ次の日から業務再開したものだ

もちろん岩手県理学療法士会のみなさんの人的支援には

とても助けられて

ありがたし

オレのサンスポのおはようサンスポのヌードのやつが

同僚女子にさらされたのも懐かしい

 

災害は「もう起こらない」とはだれにも言えず

対策が100%万全だとは誰にもいえない

ゆう

あちこちオードリーをみて

気分がわるくなったが

わるくなったことについて詳細に書くと

さらに気分がわるそうなのでそれはやめる

単に画面の中できまりがわるそうにしている人や

やりこめられてる人をみるのは

気分がわるいというだけだ

それが演技でも悪ノリでも”漫才師”の芸とやらであっても

すべておなじことだ

もともとハライチのラジオはきいていないが

ラジオでもおなじようにそういう話をしているのであれば

きかなくて正解

感謝できてないコンビはみたくない

 オードリーについては知らんしべつに知りたくない

そういう意味ではオレのふられたカノジョさんのメルアドは

正しかったんだな(書かないけど覚えてる)

aasa

まあ

 

通信障害だけはしょうがないよね

自分の手ではどうにも解決できないし

 

だまってじっと待っているしかない

 

日照りも

大雨も

だまってじっと待っているしかない

 

加齢は

とめられないので

傍観するか

あるいは

じたばたするか

どっちにしても結果はあまりかわらない

 

人間の努力や意志や行動によって変えられるものは

限定されている

 

個人のそれで変えられるものと

集団のそれで変えられるものがあるのだが

集団となるとますます

それは

あやふやで

 

はかなく

 

偶然にちかいもの

しか

おもえない

 

それが政治

 

日本がひどいと思っていたが

ロシアもたいがいひどいね

 

憲法なるものに

かきこむ内容が

ひどすぎて

個人の

婚姻の意義とか

まるで関係ない

大統領と多選をリセットできる項目とか

そういうの200個もならべて

ぜんぶまるごとで

是か非か投票しろとかね

 

21世紀になってなにこの暗愚

どようのあさ

土曜の朝は

いい

 

たとえどんなに曇天でも

(どんてん)(でも)

 

新聞かってきて書評をよむ

 

長谷川和夫先生はまだいきていて

認知症について

当事者として

著作を上梓するという偉業

まあ共著者がいるんだけど

 

ともあれ

 

しまおまほ「スーベニア」

 

書評が出た

 

しまおさんなんてそれこそ

なにがなにしてなんなのよ

ともすれば虚像だけで

実像のなにもないゴースト

なのかもねくらいのもんで

 

漫画家とかエッセイストとかといっても

著作を愚直に積み上げているのかといえば

そうでもないという印象だけがオレの中にはあったのだが

 

なにしろwikipediaでの記述であってもあきらかに

寡作

としかいえないくらいの作品数のすくなさ

 

それでよく食っていけるな

 

という

 

生業に対しての収入どうなんだ疑念

みたいなやつ

オレはいつも誰に対してもその収入のどのくらい

あって食うに対してどのくらいのカネがあって

食ってるのかねあんたという疑問がいつもわいてしまう

 

オレ自身でいえば

昨年の住民税の算定にあたるベースの収入でいえば

基礎控除を引き算するまえのベースの収入は

400マンにとどかないのですよおはずかしい

でもさあ

それでもわりと余裕で食うことはできる生活をしているのう

 

苦労してないもん

 

仕事は公的な医療保険介護保険の制度にまもられたやつの

中でやっているので

 

安定

えられているといえる

 

それは自由競争の世界においては価格競争になり

一定の安定したベースをもったサプライがおびやかされるという

仮定

 

 

の元におかれているのだが