分かって欲しいというからには、分かってもらうための努力というものをしなくてはいかん。好きになってほしいと思うなら好かれる努力を。好かれる努力って何ですか。ところで、好かれるのと分かってもらえるのと、どっちがいいですか(もし片方しか選べないなら)。すごく話を簡単にしてしまうと、好かれるのは恋人で、分かってもらえるのは友人ということにします。どっちを、より必要としていますか。
またまた強引な持ってきかたですが、ハロプロのみなさんはとりあえずアイドルとして「好かれる」ように振舞うのが仕事でさあね。分かってもらえるとしたら、それは好かれた後のこと。ところで矢口さんだが、私がラジオの矢口さんを今までずっと聴いてきた中で感じていたのは「どうも矢口さんは、分かってもらうほうを優先してるんじゃないのか??」ということだった。木曜時代の最後に「これから(日曜)は矢口のこと好きな人だけ聴いてください」とまで言った人だ。今現在矢口のことを好きでない人は、もう聴くなと。好かれるために何かをするのではなく、分かってもらうために努力をしてきたが、どうも矢が折れたような感じ、そこで出た言葉に聴こえたのだが。
別に矢口さんのことを非難してるわけじゃない。元々は、どっちを優先してもそれは構わんだろ。でも、特に矢口さん推しというわけではない私のような人にとっても、ハロプロの人たちはみんな好きの対象で、興味があって、できることならその内面を含めた人間そのものを知りたい、わかりたいと強く思っている。そのへんがヲタとファンの違いなのではないか。アイドルのファンにとっては、好きが優先で、「そのアイドルの個人的な異性の好み」なんて知りたくもないし事情を分かりたくもないわけだ。好きな気持ちの邪魔だから。ヲタは、多分違うんじゃないかなあ。これは実験で、うまくいくかどうか分からないが、でもおそらくハロプロは今や「未だかつてない高濃度のヲタだらけ」で支えられておりライトファンはほぼ壊滅という現状なのだから、ひょっとしてソロとしての矢口さんが結婚してかつ芸能活動を続けて尚且つそれがヲタから強い支持を受けるという事態もありうるかもしれないのだ。
と、楽天的に考えてみたがやっぱりそれは無理かもしれない。ヲタは好きと分かりたいの両方を極限まで求める貪欲な獣だしなあ。そもそも矢口さんがどういうソロ活動をするのか、FCイベント以外はサッパリ分からんのだ。ああ分かりたい。