掃除おわり。はええな。さて。まずは、これはドラマであるので主人公のどうなるかが問題であり、そして群像劇ではないので、脇役は「役割」を果たしさえすればどうでもいい。が。馬場と、えりか、は、ふたりとも、もし良心という回路が組み込まれているのであれば、良心に恥じる行動を行ったことにより自ら死を選ぶであろうほどに劣悪だ。だが脇役には良心がない(=機械である)ために、こやつらは死なないでまた次回も役割を果たすであろう。良心に恥じると死んでしまうというのは大げさではなく本当のことだ。