本質的な話。しんどーさんが感動的に「あたしは神田さんたちを手伝います(以下、長台詞)」を言ったとき、そこで先生が「あなたたち3人の味方になる人間はこのクラスにはもういないんだから」そのあと予めゆーすけの演説にやや感化されてる一同が叛旗をひるがえすのだが、それはともかく先生の言論は「誰もいない」が多い。和美にも言ったしゆーすけにも言った。「味方は誰もいない」ひとりのときにはそれでそのまま、二人が組めば「あなたたち二人には」3人になれば「(略)」。それ以外の皆、は「あなた(たち)」とは違うのよ、と言っている。つまりAはBではないよ、とAに向かって言っている。
A、つまり和美の側は、無根拠に根拠ある信念で行動している。この無根拠の根拠というのは、かなり強い根拠である。○○だから××です、などと根拠を提示できるようなものは、大した根拠ではないのだ。「当然、その言葉は真であるということを知っている」。理由など、ない。そう思うからそうなのだ。昨日も2000年前も、地球は同じようにこの宇宙の中に存在していた。証拠は無いがそうなんだ。無根拠の根拠、でググると結構面白いですよ。話を戻して、さて和美の主張は「我々がこの同じクラスになったのは運命であり、せっかくならば皆で楽しくやりたいし、先生の主導するような状態のクラスは楽しくない」というものだ。クラスの皆は、この主張を自分の心に問うたときに、それが真である(ぼくもわたしもそう思う)ことを、知っている。同じように考えるという点で、A(和美とか)とB(それ以外)は同じ集団と看做すことができるーならば、先生の言うAとBの峻別は無意味になる。
ただBの方が付和雷同で、簡単に切り崩しできて、「加藤の乱」みたいなもんで、だからこのドラマはまだまだ続く。
しんどーさんが本当になにを考えているのか、が気になる。しんどーさんの心は、それまで「友達などいらない」で凍っていた。ということは「クラスでみんなで楽しくやりたい」などということは考えていないはずである。なぜならばクラスで楽しくやるというのは友達が1名以上いる段階からさらに進んだ段階だからである。しんどーさんが今回のラスの方で破かれた手紙を拾ってつなぎ合わせようとしていたのは、和美の想いを無にしたくないからであり、今のところまだ和美のことしか考慮に入っていないように見える(馬場のことはたとえ憧れられていたとしてもどうでもいいように見える、今の段階では)。
和美の主張は誰か特定の人間と仲良くしたいのではなくみんなと仲良くしたいと言っていて、それは「特定の誰かと」という訴求方向が今あるしんどーさんとちょっとずれている気もする。(多分このズレは最終的にあまり問題にならないだろうけど)。
でも、和美としんどーさんが本当の親友になってほしいんである。親に向かって黙っててなどと言う状態をやめてほしいと和美なら考えるはずなのである。あんなに怖い台詞久々にきいた。ある意味先生の言葉より遥かにこわい。しんどーさんラブ。笑顔も見せてほしいがこのままクールビューティーでもいてほしい。ああ〜どっちもいい〜。てへっ。こういう落とし方はへたくそである私。