深夜読書

そして夕食をくってものすごく速く寝た早く寝たので

深夜(26じとか)に目が覚めたので読書している

『所有論

演技 演戯という話~は演技的な「なりすまし」を行うこと

儀式的なものをつうじて 配分 をしているのだということも

あったそこに

獣をとらえて肉を配分するときに

最初は「当時者2者」がぎりぎりせめぎあいながらわけていたのが

そこから「笏や杖をもった」なにもしないことをする人が配分を

するようになる

これが「神官」とか「王」とからしぞそして

それらは「分ける^ー分け与える」ことだけを行うとかね

 

そのあとに「精神的な症状」で「なりすまされた」ようにかんじる

方々のいろいろな症状とその解釈について

精神疾患をあつかうプロパーの方々の論文が出てきて

そこではそもそも「ふつうなふり」をしているやつらのほうがおかしい

のであってふつうをかたるやつらこそが

自分がおりあいをつけていると信じている内容

に目をつむりみみをふさいでいるのであって

統合失調症などにみられる過度の内省においてはつきつめて

いくと自分が自分(の肉体)を所有しているなどということは

ひとつもいえなくなり

他者を自分の脳をのっとっているとか考えをふきこまれているとか

そのようにかんじる妄想=というにはあまりによくできているのだが

このような妄想体系はそれ自体がとてもよくできすぎているがゆえに

矛盾等の指摘によってこわすこともできず

かえって「ふつうであるようにふるまっている」ほうの人がじつは

おかしい

突き詰めて考えていないでごまかしている

事が明らかになってしまうようなこと

が書かれている

めんどうじゃのう

 

それこそオレがPTやるかといって専門学校にはいって

基礎医学の全分野をひととおりやる(このことに意味があることを

知るのはあとになってからである)ときに

精神医学でこのような「妄想」「妄想体系」「妄想世界」などの

概念があることを知る知ったときのおどろきというか奇妙さの前に

たちどまって動けないような気持みたいなのはよく

憶えているよ

オレは憶えているのだそれを

 

あと「演技」のところに

つまるところイメージとして

貨幣

をつかって「もつことができないものをもっていることに

仮に

そのようになりすまし」みたいなイメージを感じた

そこでは「もつ」と「餅(もち)」をつうじて

大きくて手では持てないような機械でも

「餅」は手にもつことができるので

貨幣としての餅を機械の代替としてそのような価値を

手に「持って」いる状態であるという演技をつうじて

配分を

 

みたいなことばあそぶ的な記述を読んでいると夢をみているような

感じがあって大変深夜の読書にふさわしいのである

メモをつくるのも体験のかさね対体験的な感じがあって

夢のあとに夢ノートをつけているようで大変よろしい

 

ひとたびキーボードをたたいているのだとオレがそれを

意識した瞬間にこのキーボードを叩く指は大変にぎこちなくなってしまうので

あるが

そう意識しないように意識すればこのように大変スムーズに叩き

たたいた結果がこのように文字として画面にあらわれる流れを

観て

ああオレの指は頭のなかみをかきだすためにうまく機能していて

たいへんよろしきことだと思うのであった

自動思考とかいうが単にオレの場合はあたまがうまく

演技(だまされていることにしているような感覚)しているだけのこと

だろうと思う

べつに高速回転している能の機能をぜんぶ書いているわけでもなく

オレのイメージでは脳におけるなにかを言語として考えているような

断片はもっとイガイガしたり毛がぶさぶさ生えていたりする

ような

ソリッドではない有機的なものなのでこのような文字にかえてしまうと

その有機性や多面体の様子は失われるのであるが

それはしょうがないねこの二次元画面におさめるときに立体の

カドやふくらみやまるみはあるていど

ひらたくつるつるした様態にかわらざるをえないのである

 

思考は外に出した瞬間からもうオレのものではないが

仮に

仮にはオレのものとしてこの日記フィールドに置かれているのである