休みだったのでだいたい一日中遊んでいた気がするが、最大言いたいことは、愛理さま写真集ならびにふろくDVDを見て、そして、もう、何を言ったらいいかわからなくなり、どうしようもなく、よいもののまえに絶句するという感動を味わってしまったということだ。たまらない。動く絵も、止まっている絵も、どちらもすごくいいのだ。すべてが。これが好きってことやね。もう駄目だ。完全に愛理さまに忠誠を誓うものとなってしまった。雅ちゃん申し訳ない。申し訳ないが、もうだめだ。だって今日みやびちゃん図鑑ことMIYABIを買ってきて読んだのだが、申し訳ない、これはカメラマンの責任に決まっている、あと編集者、なんというか、カットを選ぶセンス、完全に愛理さま写真集が私の好み。ツボ。いままでに見た娘。関連写真集で私の個人的一番は、やはり藤代冥砂撮影「Chain! Chain! Chain!」だろう。
 
とか書きつつ確認でヤフーとか見てたらなんとヤフートップで見てしまったよ美貴様脱退を。
別にオレが慌てふためくこともないんだけれど。ヤグに続いて、「卒業公演無しでの脱退」第二弾である。そりゃあっちがアレでこっちでは違うってわけにはいかないのだろう・・・・愛ちゃんがついにリーダーでガキさんが実質リーダーかあ。案外早く来たものだなあ。
 
というわけで。
いま、その「Chain! Chain! Chain!」を引っ張り出して、見ていた。その時期は、9人から13人になるところ、つまり”黄金の”とも言われた9人、から、5期の4人が加入の13人になる、なった、そのところである。この写真集にはある意味で可能性がものすごくいろいろ写されている。中でもきりっとした圭ちゃんの、溌刺とした自然な笑顔が見られるのは特筆すべきである。圭ちゃんのように舞台で活躍する、しかもチャンスをものにして実績をつくっていくという方法があるのである。そしてこの写真集では、辻加護(わーこんな文字打ったの何年ぶりだ)は徹底的に玩具の扱いを受け、ごっちんとよっしーは徹底的に暗い日常というトーンにされ、かおりさんは死ぬほどかっこよく、りかちゃんは東京タワーでこのころから全力で非現実であり、5期の4人はおそろいひとまとまりでアテネ・フランセーズである。
 何を言いたいのか。
 そういえば今日、「2ndW」を聴いていて、改めて、というかやっと、もうこいつらの曲を聴くときに、その2人の現在の、それぞれなんだか歌うところから離れた、そういうものを思わずに考えずに思い浮かべずに聴くことはもうできないんだなあと 思ったのであった。
 
 戻す。写真集の話である。
要は私が写真集に求めてるのは、動きなんだ。動き。どうも、みやびちゃん図鑑に、それが感じられない。だいたい、中くらいの大きさでうつってる雅ちゃんがにっこり、そればかりだ。なんだろう。深くない。つるつるしている。ざらざらしていない。
 そういう演出で、そういう意図なんだと思う。でも私の好みではない。
 
 愛理さま写真集を見てドキドキとしたのは、彼女が聡明すぎるのに、なおかつ溌刺として明るくはしゃいで、でもときに静かになるとまたそのキリリとした横顔に、13歳にしてまるで倍の年月を生きている叡智のような、深く折りたたまれた襞を感じてしまう。そういうものがあるんである。勝手にそういうものを感じてしまったんである。愛理さま写真集の最後の3ページ、ほとんど薄暮から暗闇へと変わっていく空をバックに、高いところの細い堤の上を歩く彼女がさいごにこちらを向く、その、笑顔なのに、同時になにか全く笑っていないようにも見えるその表情、そこにあるだけで二重性。
 まあオレが単についに愛理さまにやられただけのことかも。
 
 で、またなんか娘。についてふりかえりつつ。はっきり言って異端児たる美貴様にはすごく楽しませてもらった。やたらメンバーにセクハラしたりマンコさわったりすると言われ、拗ね、わがまま、自分の希望が通れば大喜び、したいことするさ。楽しかった。いままでありがとさんと言いたい。特に心配する必要もないように思うし。
 それよりは今後の娘。のことで、愛ちゃんガキさん、その下に6期3人、ああ、6期は三人に戻ったんだね、そして久住で光井でジュンリンだ。新しい。若い。さっき実質リーダーガキさんと書いた。それで思いだしたが、俺見てないけどガキさんの名言「私の中のモーニング娘。がみんないなくなっちゃうんです。」よっしーの卒業を受けて。そうなんですねえ。というかそうだったんですねえ。
 5-8-7-8-7-11-10-9人の娘。をずっと見てきたわけでしょ、ガキさんとしては。 
 うちにある写真集があって、荒木経惟撮影「アラーキー顔写「富山ノ女性」 0歳から100歳までの101人」というのがありまして、発行2000年。当時の、題名どおり101人の女性のポートレート集で、これにそのモデルさんたちからとったアンケートがついてました。若年女性の間で圧倒的な人気を誇っていたのですよ娘。は。もうめくってもめくっても「好きな芸能人;モーニング娘。」ですよ。それが2000年だ。まあだいたい10人時代ってことかね。
 ガキさんはヲタの最高峰としても知られる存在であり、同時に娘。そのものを生きる人物でもある。
 別に自分の好きなように娘。をつくっていける立場ではないけれども、実質、娘。を内側から、つまり外側の圧力でつぶれないように内側から同じくらいの圧を掛ける役目はガキさんが中心になってやっていくしかないと思うのである。
 というかまあみんなでやるでしょうけど。
 いかんたくさん書いたら書きたいことの焦点がもうボケボケで何をいいたいのかわからん。
 あーつまりだ。
 ガキさんこそが、はじめて、「娘。を外側からさんざん見て、かつ、その後に内側から支える立場になったときに、じゃあ娘。は、こういう娘。にしたらいいんじゃないのかな、と考えてできる人間」になるのではないか。
 それまでの人間が、ああ、なんとなく、娘。は好きだけど自分は娘。になってしまったらひとりのタレントだから、と思ったら、昔オーデの前に自分が何を思ってたのかをどっかにいったん置いてきてしまった人たちだとすれば、ガキさんは「それを置いてくることはせずに、ずっと裡にかかえてきた」人だと思うのだ。
 それはある意味、分裂でもある。ここでも二重性。自分が演者であり、同時に自分がファンである。見るものと見られるものが、同じ者である。でもそれを客観視というのじゃないの。とても難しいことである。でもガキさんがはじめてそれをできる人になるのだと思う。
 えーと。そういう「頭のよさ」が、私は大好きなのである。
 それを感じるからオレは愛理さまが好きで、どうしても「さま」をつけてしか呼びたくないのであった。