http://d.hatena.ne.jp/essa/20080617/p2
「いい学校・いい会社・いい人生」。もちろんそれが正しい/間違っている、よい/わるい、お勧め/お勧めできない、について何か言うつもりは全然ない。
しかしこのエントリを読んでいて深く怖い感じがするのは、30代既婚女性あるいは中学生くらいの子供をもつ既婚女性のほとんどがもしかしたらこのモデルについて「正しい現実そのもの」と思っているかもしれないことだ。なぜそれが怖いのか。彼女たちが「事実社会はそうなっているし、それ以外のことはすべて虚構(物語)で、ここになる現実とは全然別の特殊な話」と、切って捨ててしまう、そこがこわい。たしかに現実に即して生きるということは、他のありえた可能性を切り捨てて生きることだとは思うが、考えるあるいは考えうる多様な現実というものを、「存在しない」として完全に否定することは、「自分のみている現実以外のルートでここにやってきた異物は、すなわち招かれざる客である」と考えるに同じことである。だから、姿かたちが人間であっても、「私たちと同じ人間ではない」とみなす。おそろしい以外の感想がない考え方だ。
極端な書き方をしているようにみえるかもしれないが、オレにとってはこわいものはこわい。
と、ここであんまりしたくないがでも書いてしまいたい内容に触れざるを得ないような流れになってくるのだが、
オレのつとめている医療系施設(もちろん医療系にもいろいろありますよん)で、「いやー実はオレ、ハロヲタなんですよー、ははは」と言ってみたとして、いったいどんなことになろうか。と想像してみる。答えはわからんが想像はできる。オレが異物になるだけの話である。あれがうわさによるキモヲタというものか。どおりで変わり者だと思ったよ、と。
いや鼓張誇張で言ってるんじゃないんだよー、こわいもんはこわい。ここ田舎だし。完全な。もちろんオレは田舎がこわい。田舎の一番こわいところは上のモデルが支配的であるところだが、それに加えて医療系であるから従業員の殆どは女性である。田舎で女性が支配的。なんておそろしいところだ。書いててだんだんエスカレートしてきた。
 
しかし。
それは単に、オマエが本当に、人からきらわれるような変わり者なのだよ、ということはできるし、そうでないと反証する材料などオレは全然持っていない。
なので、単なるきらわれがちな変わり者としての発言でまったく結構なのだが、そうだとして話を続けると、
1、彼女たちが人間と認める範囲はきわめて狭いのではないか
という疑問と、
2、コミュニケーション不全の原因を相手に起因するものだとする考えはいただけない

という主張があらわれる。
2、から先に考えると、コミュニケーション不全は常に相互に何らかの原因があって発生している(たとえば発信/受信でもいい)、という考えがある。多分これは合ってると思う。どちらか一方ということはありえない。聴く耳があかんのか、喋った声があかんのか、どっちもか。
このように、2、について単独に考える場合には、オレ当事者じゃないから、冷静に考えることができる。
だが、
1、について考えるとき、オレは当事者である。彼女たち、に対する、オレ。到底、オレが勝てるとは思えないし、引き分けに持ち込めるとも思わない。オレの希望は「オレを人間として認めろ」ということなのだが、そもそも人間の定義が違うような感じなのである。オレの想定する人間とは多様性を含有するものであるが彼女たちにとっての(多分)人間とは彼女たちと意見を同じくするものだけなのである。多様性の否定。
まあオレからみた文なので、オレの方が「”人間”の幅が広いんだぞ」と主張することは簡単。想像上の議論だし。
されど、想像上なのに、やっぱりオレは負けるのだ。なにしろ議論は成立しないー議論というのは同等のものが相互に行うもので、オレは同等のものと認められないから。
 
 と、このように、自分の頭の中での議会で負けたからといって、「現実は最早固定化されていて、オレは絶対的敗者だー!!!」とひとり絶望するのが一番いけないのか。よくわかった。個人的にはオチまでついて非常に満足。