日記更新が一日あくのはたいてい当直やってるときだ。今回も事務方からガタガタ文句を言われキレそうになるも、「あの人たちはガタガタ言うのが仕事だから」という声を賢人より聞き、はあなるほどと思い、はあそういうもんかねとも思った。たしかにこちら、つまり現場方のように直接クライアントに接する部門はメインとしてクライアントの利便アップが最上の命題であり、はっきりいってそれ以外はわりとどうでもいいと思っている本音で。しかしそれでは組織全体がまわらないのは事実であり、まわすために事務方というやつがいることは分かっている。やつらはこっちのとっちらかしたものを片付けているのだということも。しかしうるせえんだよ。いちいち内線かけてくんなよ。あっまた愚痴になってしまった。愚痴書いちゃいかん。しかし日記にはきだせるのは便利だなあ。
 突然話かわってアニメとその原作の話。
 今期みているのが6本なのだが、
原作読まず、アニメだけ見ている・・・「しゅごキャラ!」「ストパン」「ひだまり」
原作読んで、アニメも見ている・・・「薬師寺」「乃木坂」
原作ないのでアニメだけ・・・「マクロスF
である。
んで。原作があると難しいなあという話である。原作には原作のよさがあり、アニメにはアニメのよさがあるのは当然だが、それを相並ぶかたちでともに認めてともに楽しむのって難しいなあと。
で、「薬師寺」は、原作とアニメ両方を認められる稀有なケースだと思うんである、もちろんこれはオレの趣味もあり、どう思うかは個人の領域なので同感を得られるかは分からないが。そして、どうもうまくいかないのが「乃木坂」なのである。
さきに乃木坂から。乃木坂の原作を読むと思うのは、ああこれはまっとうな話なんだなあということである。いくら設定がデフォルメを大いに含ませたものであっても、その中にいる人物たちの、行動することの根底にある心理は、まっとうなもんである。春香がヲタバレとそのあと起こるだろう周囲の攻撃を思ってとてもこわがる心理、それをどうにかしたいけど無理にいろいろしたりはしないで基本的に暖かく見守る姿勢の裕人くん、ともにまっとう。
さてアニメはどうだろうか。基本的に原作準拠なのはOK。しかしアニメのかわいそうなところは、原作厨からは何をやっても「ここがちがう!」とか叩かれてしまうところだ。なるべくそういうことはしたくないので、重箱の隅をつつくことはここではしないつもり、しかし本質的にアニメには声優さんがいることだけは事実。声優さんの声に圧倒的に左右されてしまうのは事実で、それを決めるのはキャスティングなわけで、ここで能登さんだが。能登さんが春香になって出てきたときに、はじめはかなり違和感があり、それから、ああこれもいいかあと思うようになり、それからまたちょっと違和感を感じるようになった。要は、受け止めかたの問題で、能登さんの空気を多く含む声を聞いていると砂糖菓子のようだと思い、しかし春香というキャラの本質はぜんぜん砂糖菓子ではないのである。というか、このアニメが原作準拠でいくという方針ならば、少なくとも砂糖菓子ではない。
ああこんな話、書きはじめるんじゃなかったかも。オレの主観からどれくらい離れられるかということを目指していたのに、結果は主観だらけというか主観しかない。ここで砂糖菓子という比喩で言っていることはどういうことを指そうとしているのか。ふわふわとしてとらえどころのない女の子のことか。それともふわふわとしていて現実世界から遊離している女の子のことか。メルヘンに生きる女の子のことか。いやそうじゃないんだ。
 収拾がつかなくなってきたので薬師寺に話を移す。薬師寺は、ある意味「原作準拠だけどアニメはアニメスタッフの趣味を全面に押し出しますよ」というものである。だから音楽にすげえ力入れて、結果としてEDは毎回違うし、しかしトータルイメージがあるので、「ちょっと世界から浮き上がっているお涼さん=女王陛下」という位置づけを適切に補完しているように見受けられる。音楽って重要である。あと女王が生天目さんというのがまたええわ。本当にこういうののためにいるような声優さんだと思う。誰でもなんでもできるというわけじゃないと思うのである。
 いっておくがオレは能登かわいいよ能登の方の人であるもともと。好きですよいろいろ。地獄少女ウィッチブレイドも好きでしたよ。でもそうなんだよもうぶっちゃけて言うとオレが原作読んで感じる春香のイメージは能登じゃないんだよ〜ってそれ言ったら終わりだ。すまん。