記憶断片

思い出せることだけ。
・インタビュアーとインタビューイー。できるだけ突然の対面が望ましく、できるだけ利害が衝突しないことが望ましい。つまりストレンジャー同士。突然の出会いそしてお別れ。
・機械としてのあいぽんはすばらしいが、惜しむらくはその電波の継続の信頼性。今日のインタビューも途中で接続切れた。もったいない。しかし後日うpされるであろう。
・連帯というとおそらくは誤解、しかし、あまり好きな言葉ではないが「ゆるいつながり」。ついったーだからできるかんじ。言葉がTLの上にある印象と、本人実物を見た印象はもちろんぜんぜん違う。しかしある程度の担保はアリ。
・結局問題の焦点はどこにあるかいうと、重要とみなしているところがどこか。もちろんもともと本人(主催)が主役。そして横からみているについて思ったことは、インタビューが主でいいのではないか・ということ。交流いうが結局道ばたで呼び止められてちょいと話するのは交流にはいらない。いちにち一回のというか一都道府県に一インタビューのしばりだけが重要なような気がしないでもない。
・そういうのを支援するかわりに横で見て見られるわけであり、なかなかそういうのを横で見る機会はないし、見ていると思うところがたくさん生まれてくるものである。
・交流と簡単に言ってもそれは真実むつかしいものでしょう。みしらぬ他人と何が交流できるものか。しかし他人から興味をもたれてそのことについて(好奇心でも)つっこまれていくうちにハナシだんだん深くなっていくのはおもしろいよマジで。
・それが録画されたメディアを再生してみたときにどのくらいつたわるかだよなーあいぽんはいいメディア中継装置ではあるとおもうが。
・ねる。