この日記は9割自分メモなので

すみませんが方針がどのように決まったのかをここにかけない。書くのは自分の手書きのノートの日記だ。どんだけ日記がすきなんだよこいつは。しかしひとことだけいえるのは方針を決めるということはひとつに決めるということだ。相反する2つ以上の方向を同時にめざすというような方針に決定するというのはかなり特殊である。そうではなくて、ひとつ。徹底。あまり徹底しすぎるとロクなことがないだろうとは思っているがそれでも方針というかマーカーを置いてこっちにいくよ、いこうと思ってると決めるんであればそのベクトルのさししめす方向は一個である。
 だからこれからもこの日記(はてな)にはサンデーの話題、ジャンプ、アニメ、ハロプロ、登山、イライラ、楽しみ、くいもの、酒、音楽、面白い都市、雑誌、グラビア、ポテトチップ、キーホールTV、布団とまくら、パソコン、デジカメ、リミックス、ついったー、小説とかノンフィクション、田舎、実家、静岡県浜松市、凧揚げ祭り。などの話が出てくるであろう。
 結局これらの事柄を集積すると、楽しんでいるのはオレ一人だということだ。
 つまりオレは人と人のリアルの関係とかつながりとかにほとんどまったく興味がない。まったく興味がない。
 
 源さんが首相になるって漫画があって、そこで「愛とは何か?」というときに「愛なんて嘘っぱちだ」と叫んでみてそれがこころに違和感があるときにその違和感が愛であるという話があった。つまり自分でそう思っていないことは言えない(反動がうまれる)というそのひっかかり。それっぽっちである。 
 まあ記憶で書いているのであいまいだが。
 
 そういうわけで「まったく興味がない」とキーボードを打ってみたがオレはぜんぜん違和感を感じなかったのでおそらくその言葉はオレの本心にかなり近い。
 よくあることだが、人つきあいが苦手なやつほど「真に信頼しあえる関係を・・」などとつぶやくという傾向。つまりうわべなどどうでもいいみたいな、うわべならそんなのいらないみたいな。
 しかしこのよにじつはうわべしかないのだとしたらそれはうわべこそがいこーるしんじつのしんらい。
 
 そんな感じでオレがLW先生が好きなのはおそらく先生こそが「真に」と思っていたのではないかなあと勝手に夢想しているからである。もう亡くなった人についてはいろいろと夢想することができる。
 
 長くなってきたがこうやって書いているとだんだんとオレが何を考えていたかオレにはちょっと見えてきたがこれは中学生の書く文章です。わるいいみで。