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床屋にいくこと スミ。
 
以上。
 
それなりに疲れたが人間社会には軋轢があって当たり前というか軋轢しかない。
 
 事実としては「身も蓋もない事実」しかない。つまりありのままの、裸でごろんと転がっている事実だ。
 
 見えないものは信じられないのか。
 
 世の中のたいていのことは「見えない」ものだ。見ようとしなければ。
 しかし見ようとすることで見える。
 
 のかもしれない。何を言っているのか。というと、人間の心のうちのことであった。
 こころのうちというのは目にめーないので、こうしてオレも自分の思うところを文章言語化しないと形にならないし目に見えないし残らない。
 他人にたいしてどう思っているかなどもそのようである。
 
 今「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」4話を見ているところ。
 
 どうしてめんまは他の奴には見えないのだろう。多分この話がさいごまで最後になっても他のやつには見えないような気がするそして最後にはだれにも見えなくなるような気がする。
 
 たぶん一人一人の目標とか指針とかが言語化されてないから気がつかないだけで、本当は全員の意思がバラバラだ。そんなん完全に言語化しようとしてる人はいないしごく少数。
 全部言語化するときっと正気を保てない。
 
 ような気がする。えらい抽象的だ。よくない。今日はジャンプと週アスを買った。ジャンプはいぬまるだけが面白かった、あとは何かどうも久しぶりすぎてよく読めない、もうジャンプは買わなくていいかとも思った。
 週アスは現実に立脚しているのでそれなりにリアリティがあり巻末岡田連載はだんだん面白くなってきているもののいまいち。ウィキリークスアメリカ新聞との付き合い方は面白い。コータリさんのコラム連載は本当にある人生だなあと思う。あと、星占い。福田先生の。今週はオレにとって落とし穴がある週なのである。2月うまれ気をつけよう、とにかく気をつけよう。