えー

李選手2回戦で負けですか。わからんなあ。
 
あの日見た(略)最終回見終わったが、とくに感想なく、あるけどない。
秩父はいいところだと思うが、どうだろう、この「いいところ」感はスケッチブックの福岡県の田んぼとか農村風景のいいところ感ともにていて「実際の景色をベースにしてつくられたさらに理想的ないいところ」なのではないか。よって現地でその「いいところ」感を味わうのはかなり難しいのでは?
 あのいいところというのは高校生がわいわいやってる土地としてのいいところなのでオレが巡礼にいったとてそこにはわいわいしてる高校生などいなくて普通の高校生くらいしかいないだろうしその人々はオレにとってはただの見知らぬ人。
 もともとの「聖地巡礼」正しいことばのつかいかたで言うとそれは聖地つまりなにか昔考えて感じてそれを形として歴史の上につづくようにした人の功績とかまたそれを目に見える形にしたものやその言い伝えの中心的にのこるところ、場所、に、詣でて、過去にあったその思いを感じるためにいく、行ってそして感じるってことなんじゃないだろうか。
 それならばできそうな気もしてくる、秩父に、フィクションとしてのそういう人のこころがあって生まれ変わりたいって思ってたんなら探せるかもしれない。まあなんでもいいんだが。アイドルのライブいくのと同じようなくらいと思っておいたらいいんじゃないだろうか。実際にその思いがどのくらい結実するかの達成度では同じような。そもそもが「それは無理だろ」からはじまっているわけだし。