こんばんの省益

これはオレの感なのだが、このこと、が、おそらくは「独身者は社会に有害」説の根拠に近いのではないか。
 
 まったくもって独身者を擁護したり喫煙者を擁護したりする言説がいつもか弱くはかなく、大衆の支持を得られず、結局世をすねたり隠れたり隠遁したり隠棲したり、隠避したり陰欝だったりするのは、
 このことによるのではないか。
 
 このことという代名詞を使っていながら、「このこと」が示すのが前段のまとまってない言説なので大変に申し訳ない。しかし。
 他人のことを「気にならない」「気にしない」「相手にしない」「どうでもいい」「自分がよければいい」「自分が一番」「自分にとっての最高だけを目指す」「他人の幸福は眼中にない」「他人の不幸などどうでもいい」
 といった考え(これを、読んでいて、ああ、そうだね、つまるところそれしかないよ)が、建前だけでも社会の一員として生きている普通の常識的社会人であることを自負しているようなやつらからみて、危険思想なのである、危険思想として位置づけられるのである。よって迫害されるのである。独身は人間以下であってオレたちの仲間になんか入れてやんないって言われるのである。
 
 常識的社会人だって心の底では自分さえよければいいって思ってるくせに。
 
 独身者はそういう本当の本音をあからさまに体現しているから嫉妬の対象となるのである。
 
 ってのはどうだ。まあこのくらいじゃあ、世の中によくある理屈になってしまうのだけど。
 でも最近思うのは理屈とやらの中には実は感情が原因ってのがほとんどなんじゃないかなってことだ。
 どう考えるかではなくどう思うか。そしてその思ったとおりに行動する(思った方向と逆の方向に行動するのは人間にとってはものすごい困難とストレスである。)
 思い。
 願い。
 ねがい。
 
 思いがねがいとして結実する、それが自己刷新なのかしら。