どうして無垢が

女子中学生が無垢に見えるのはどうしてだろうか。
 
週アスオタキングコラムにて理屈の使い方というのをやっていたので興味がわいた、オレも理屈をこねてみたい。
たまゆらをみていると女子の中学生が出てきて無垢である。
 もちろん無垢であるように描写しているのである。
 
 たとえばてんちむさんの本を読んだりしたら、そんなに無垢でもないのねとわかるかもしれない。 
 
 また(たとえが古いけど)ホットロードを読んだりして、無垢とはちょっとずれた位相みたいなのを思ったり考えたりしてもいいかもしれない。
 
 基本的に人間が無垢でなくなっていく過程というのは他の人間によってである。
 たとえば、無条件に人間を信じていたものが、誰かに、騙され裏切られ、いじめられ、叩かれ殴られ、陥れられ、辱めを受け、イヤな思いをし、わるい言葉を投げ合い、どつきあい、髪をひっぱり、憎い感情を覚えて、そうやって無垢ではなくなっていくのではなかろうか。
 
 と、ここであの花のことを思い出すのだが、幼少の時代であろうと小学生だろうと、なにかがひっかかって、押さえつけた感情というのは存在するものだ。
 
 それを自分でどのように処理しているのか。
 
 その結果として、外側が、あたかも無垢であるように、他人からは見える、というものがあるかもしれない。 
 
 では職場にいってこよう
(もうちょっと女子中学生の無垢さかわいさ天使さ素朴さについて書きたかったがもう時間もないしね)