ひる

当直だったので昼上がりだ。しかし眠い。
いまにも寝てしまう。
 
 週アス。やはり「仮想報道」をよむ。オレのきらいな、オレのしらないFacebookをよく教えてくれる。今回は「ザッカーバーグの考えるそのプライバシーの公開するしないの決定はユーザーではなくFacebook側にある」という話。これすなわち政治。誤解をまねく表現なので、そこは、正確に言うならば「もちろんプライバシーに関する事柄を公開非公開にするその決定権はユーザーにある。しかし、非公開をデフォルトとして使いはじめていたとしても、途中で、公開をデフォルトにするという変更をすることがありうる。ここでは、変更するしないの決定はフェースブック側に決定権がある。そしてもちろん変更についてはアナウンスする。一時的に、タイムラグがあって、公開したくない情報が、公開されてしまうこともここではありうるだろう。しかしあくまでオープンこそがそもそものフェースブックの信念であり、また、たとえ8億のユーザーがいたとしてもシステムの変更自体はまったく躊躇せず行っていくのだ」ということだ。オレによるまとめ。
 おおよそ間違っていないと思う。
 
 このあたりが実に政治だ。
 
 まったく新年から政治のことばかり考えている。社会というのは結局政治なのである。メリットデメリット。メリット分配、デメリット分配。
 社会の変化とそれに対応できないスピードの遅い政治(=社会システムのうちの公的な部分をいかに現実に合った形にどんどん組み替えていくのか)。
 
 選挙というシステムが、
 「イシューを限定して」「理想の社会像がなく」「しかも当選後のやることについての縛りもない」ようなとても酷い体たらくなシステムであることにうんざりしたならば、そこからすることはシステムそれ自体の変更である。
 
 古いのでいえば、「愛と幻想のファシズム」は、もっとスピードのはやい意志決定は何によって完成されるかについて書いたものだ。
 意志が強固であるかどうか、強固であると何ができるか書いたのが「半島を出よ」である。
 どちらも村上龍
 
 こんなん考えはじめるのは本当にアレだ、Dig火曜日を聴くようになったり、あと、一般意志2.0を読んだり、した、からでもあるけどオレもともと政治学科の出だからなあ。成り行きだけど。
 大学が無意味だなんてそんなことない。
 
 Dig月曜を昨日当直できいてた、少し。けっこうひどかった。野田政権、をテーマにするのがどうして月曜なのか、月曜がそんなことしたってうまくいくわけないじゃん、過去の例から。とにかく呼んでくる人選がアウト。ジャーナリストなのか教授なのか知らないが、嘆くだけで自分には何の責任もないかのような発言ばかり。ラジオリスナーはそのへんにかなりもう敏感になっている、とくに3・11以降では何かについて調べたり真実にせまったり判断したり行動したりすることは健康と命に直結だということに気づいて思い出してしまったからだ。つまり政治と報道はライフラインでもあるのである(飛躍)。
 
 その点でたぶん火曜と水曜は呼んでくる人を厳選しているように思える。
 木曜はTDCが好きなようにやればいいのである。これはこれでアウトロー。面白い。
 金曜は大根さんが江藤アナその他の女性にセクハラしまくってくれればいいのである。無法地帯。
 なんだこの感想は。眠いのはわかるがひどすぎる。
 
 清楚というかニットとスカートみたいな格好が真のエロだ、という思想があって、このことを文章でわかってもらうのはなかなか大変だなあ。まとめブログでそういうのがあってさあ。検索キーワードとかないかなあ。あああれもうHDDに仕舞ってしまったか。うう。