よる

あの夏で待ってる 09話。
はああああ、そうなんですか。
いろいろ白熱しながら諭されたりとかしてるが、檸檬先輩がいなかったら何も回らないのも事実。
あと、小諸から軽井沢まで軽いフットワークでちょいと動いて、あの池は、具体的には何なんでしょうね。聖地巡礼の話をNHKクロ現でやっていましたが、たしかに、このような「ちょっとした不思議というか、いま分からないもの」は、自分で調べたほうが面白いのであって、自治体からここですよと教えられたらあんまりおもしろくない。
 ないけど、まあ、アレだな、オレほとんど地元住人みたいなもんだしなあ。
 
 なんにせよ、なつまちに出てくる風景というのはリアルであってリアルではないものものあるのである。それは、あまりに、きれいすぎるし、色の明度が高く、濃く、青春の傷みみたいのをはっきりくっきり映し出してしまって残酷だ。
 実際の風景はもっと淡く、色の濃淡に欠けており、それらの風景は本当に流れる展開の後ろにあってなにも主張などしないし、語りかけてもこない。
 
 そういう感じでアニメのつくる世界は強度ありすぎるのである。
 そうでなくてはあの激しい感情を映し出すことはできないし、また、そうでなくてはわざわざ見る価値もない。
 我々が(オレが)わざわざアニメを見るのはそうした激しすぎるものを、この実人生の中ではありえないような感情を、垣間見たいからだ。
 いや実は、そのような激しいものは皆のそれぞれの感情世界の中にあるのだが。それは滅多に他人に見せるようなものではないし、他人にぶつけるものでもないとされている。
 中には、稀に、他人と他人の間でそのような激しい感情をぶつけ合っている方々もいるのだろう。それはしわわせなことだ。
 だがオレのようなところにはそういうものはやってこない。好きだと言うことくらいはできても、だから、あなたのために何ができるか、あなたは今なにを思っているのか、どういうふうにすれば外側からはたらきかけでプラスをなにか与えることができるのか、与えるという言い方が傲慢ならなにかいいことをつくることは、などと考えてみても実際にはそんなものはもたらされたくないとばかりの普通の拒否である。
 だんだん個人的なものにすり替わっていくのだが、なんにせよ、とにかく、感情は互いにぶつかりにくいし、ぶつけることさえできないのがほとんどだ。
 だから、アニメに戻って、青の子が、ちゃんとぶつけることができているのがとても新鮮に見えて、かつ、青の子が、はてしなく不憫で仕方がない、そしてもしかしたら裸族の子もすごく報われないのかもしれない。
 ああアニメおもしろい。
 
 そしてアニメの中でもあとからもういっかい通しでちゃんとじっくり見ないといけないと思わせてくれるものがそんなに数多くないのも事実、そのくらいでないとDVDやブルーレイを売って儲けるなんてできない、聖地巡礼もいいけどそもそものアニメのつくりが問題だ。正直、ラグランジェはちょっと10分くらいしか見てないしあんまりなあ。たまゆらは大好きですけど。