あさ

おはようございます。
 
昨日貼りきれなかった写真。豊島、塩田千春「遠い記憶」。

















みてわかるとおり公民館であり。いろいろ購入に尽力してくれた人の名前もあり。映写機とかあったのね。教室みたいになっており、講堂でもあり、壇があって演台がある。そのなかに、ぶちぬいてトンネルが作成されている。
どれをみても思ったがとくにこのアートは「自然の中そのものの廃屋」であり、雨風にさらされているわけである。
だからおそらく今回みたのと来年?見るのとでは、違った顔になってくるのではないか。
 建物右はじの部屋にうわっている元気のいい植物も、おそらく常に変化している。
 
 そのような「へんか」が、どこにでもあり。窓からのぞく風景はつねに動いているし、なにも定まっていない。
 モネの睡蓮の絵はそこにあっていつも同じかもしれないが、そこにさす自然光はいつも変化している。
 
 石とかみてるとその「へんかしなさ」にくらくらして頭がおかしくなりそうだが、これも長い目では変化しているのだろう。
 そのあたりを思いながら仕事いくか。