ひる

洗濯して、サマーウォーズみた。
録画の。
 
面白いは面白いのかもしれないがオレにとっては名作ではない。と思う。
なにかがズレている。
 
この中でオレが嫌いなのはこの大家族というか一族の中にいるおおくの小姑どもである。というか関係よくわからんが親戚的なやつらのうちの鬼女どもである。阿呆であり、何の価値もない。
 まあどうでもいいが。
 
 話として、戦いがあったんだけど、それは、悪意によるものではなかったとか最後に言ってしまうところが、ふに落ちない。その割には被害が甚大であるし、本来ならば「つくった人間」が裁かれてもいいとオレはおもう、つまりわびすけだ。
 わびすけという人間がよくわからない。勝手に財産を売り払ったというならば裁判にでもかけてちゃんと民事でもなんでもおとしまえをつけるべきであり、それを許しているあたり、それなのに親戚一同で嫌っているあたり、なあなあであり、これも納得いかない。
 なつき先輩がさいごになって主人公のことを好きになっているのもよくわからない。そこまで説得力のあるところがない。
 ゲーム画面上で戦っていることはたんなる比喩であるのにいろいろ余計である。
 
 システムとしてもそのOZというのは比喩であると思うけど、
 東のエデンでのノブレス携帯のようなエレガントな無茶苦茶さが無い。
 
 こうしてみると、ポニョのつきぬけたアナーキーなそれでいて完璧な王道ともいうべきストーリー展開がたいへんに作りこまれたもののように見えてくる。
 アナーキーというのは魚が人になりさらに人になることであり、大波である。
 王道というのは探していたらさいごにはみつかったということである。
 作りこまれたというのは、それが、無理のないように動いているということだ。
 
 なまじ戦いが軸にあると、最後にどっちが勝つのかということがメインになってしまう。
 しかし戦いはわかりやすい。
 
 戦いではなくて、なにかを、「探しにいく」とか、「ときにいく」とか、いろいろ。
 
 いまもういちど「星を追うこども」を見たい。アナーキーで同時に王道であるという意味で宮崎駿の後継は新海誠だ、というのは、宣伝文句ではなくて正しいように思えてくる。