ひる

9月もおわりじゃ。
 
クリーニング(高校のときからきてるシャツ、まだへたらない)をとりにいく。ウオーキングする。腸脛靭帯炎などのことはいったんあきらめた。マラソンは速歩でどのくらいのタイムで歩けるのか挑戦するよ1月は。でもそのためにも歩かないとね強い足をつくらないと。そうしているうちに靭帯炎が出なくなるのが理想なのだが・いろいろ調べててやはりオレは立ち方歩き方そのもののフォームが外側外旋傾向というかそのぶんバランスとしては左脚だけ内転筋がやや弱いのかなんなのかって感じのスタイルだ。そのとおりだ。だからなんだけどね。右脚はまったく痛くならないのは不思議である。こういう傾きになってしまっているのだろう。なんにせよたくさん長く歩いて強さをつくるのは地味な作業である。
 
ずっと考えているが、オレが真剣に考えているということはつまり「生存の危機にさらされている」ときなのである。
 
ときどきある。
 
つまり生きたいということだ。生きていろいろしたい。健康でありたい、幸福でありたい、それを邪魔するものは排除したり対策したりまたは考慮の外に置いたりいろいろしたい。
 
だがたぶん、「そんなことはたいしたことではない」と考えるのが一番いいように思う。オレがフィクション読んでいちばんありがたいなあと思うのは「指針」を貰うことである。
 これは橋本治が「その未来はどうなの?」で書いていたことに重なるのだが。
 忘れられないフィクションはいい指針をもって教えてくれる。トム・ウルフが「成り上がり者」で教えてくれるのはストア派エピクテトスがどのようにものを考えたかだ。もっているものともっていないもの。人間は体など所有していない。死んだら体など崩れおちる。
このページとか宣伝多いけどけっこう短くていい。
http://systemincome.com/main/kakugen/tag/%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%AF%E3%83%86%E3%83%88%E3%82%B9
 
アーヴィング「オウエンのために祈りを」。忘れられない。なぜ人間は生を得て生まれてくるのか、それは神によって「なすべきこと」を与えられたからだ。それはさいごまで何なのかわからない(だから準備をしなくてはいけない)。・
 「なすべきこと」はそれぞれの個人にあり、「よくないことは、自分がなすべきでないことをしようと懸命になることだ」というのもエピクテトスにある。 
 
 こういうことを考えたり思ったりするのがすきなので、そういう思いめぐらしているうちにころっと逝ってしまうといいなあとも思う。では今夜は当直。