よる

たまたま時間あるのでHDDの整理している、録画してあったNHKaikoライブがありこれは素晴らしい番組だ、素晴らしい、番組だ。
 これは永久保存レベルだな(たまたま個人的aikoリバイバルブームがきている勢いでの発言)。
 それにしてもすべてのaikoの詞(AIKOの詞というべきである)は、なんだか、時間位相のズレをかんじる。たとえば未来から見た現在のような。「ふりかえる」ような。
 そのことばたちはすべてどうにも何か不安定。確証された現在や未来のような、堅いたしかな幸せというものがありえない。
 だから記憶に深く刻んで忘れないだとか現在のこのきらめきが永遠だなどといった「この先に確実に不幸や喪失や欠落が待っていることを私は知っているのであるから、この現在を最高に貴ぶものである」みたいな声明をきいている気分になるのである。
 つまり。
 すべて「永遠」なるものが存在しないという達観から出発している。
 あるときある場所での思った想いというものはほんの一瞬存在してそのあと瞬きの間に消え去る。
 だからまるで印象派の絵画が一瞬の水面の波だった情景を切り取って二次元に固着させたかのようなそんなあまりにも淡い儚い投影がAIKOの書く詞である
 みたいな。