昨日はテレビの録画など見ていた。
マツコ有吉夏目ちゃんの怒り新党。
新・三大の「二大ふしぎなボールを投げる投手」もよかったが、もっとも記憶に残ったのはマツコ・デラックスさんの語る「他にできることがなにもなかったはずれもんだからこういう仕事をしている」みたいなことである。
つまり笑われたりつまはじきにされたりすることのことである。
芸能人になりたいとか、プロ野球選手になりたいとか、夢を語ると、そんなことはできっこないと笑われたりするものだが、まずは、もし語るならば笑われるくらいは、はねとばす、跳ね返すバイタリティが必要なんだろう。最低限。
あと、別に芸能人になることは夢ではなく、結果としてこうしているものの、形としては河原乞食である、ってかんじか。
河原乞食。芸能の民は「別」である、という考え。これは差別でもあるし区別でもある。かれらは、かれらの役割を果たす一方で、そのような役割を果たすのだから「別の扱い」をうけてしかるべき、と考える一群の人民がいるのである。
たしかに。
伊集院光氏がカナダからの帰国に際して、もともとの格安チケットで持っていたやつの飛行機会社のが飛ばなくて、どうしてもANAでロスから日本まで正規運賃で飛ばないといけなくて、ファーストやビジネスの正規運賃のバカ高さにぶったまげるという話をラジオでしていたのだが、
そのビジネスの運賃なんか一回だけQさまの収録に参加するだけで簡単にペイできるくらいの「バカ高い」ギャラが払われているのである。
もう普通の会社員では考えられないくらい、理不尽に高い金が動いているのである。
そういうのが「別の扱い」だと思う。