ゆうがた

帰宅した。当直明けなので昼あがりーローソンにいって荷物3つ受け取るはずが、3つ目がプリンター不調で20分またされるが結局プリンターからの印刷は無しで受け取っていいことになった。まあいいです。
その後、職場に戻ってちょい仕事。いろいろあり。
 終わる。
 役場にいってゴミすてカレンダーをもらってくる。
 
 さて週に一日しかアルコールのめない金曜の夜でうれしいがあまり興奮はしていないが、まあ、まず薄めの焼酎水割りから。
 
 昨日、当直中に書きたかったことはなかなか言語化しにくいものだが、
 しかし重要なことだと思うのである。
 オレがする仕事というのは、そんなに大事なものではないということ。
 最低限のラインはあるけれど、それをクリアすれば、とくに甚だしい成果がなくてもいいということ。
 なんでそういうことを言うかというと、仕事をバカにしているのではなく、オレの存在の合否が仕事成果によって決められるものではないと言いたい。合否というとヘンだが、まああれだ、レゾンデートル。
 人間はただそこにいるのでなにもなくてもいいことになった。
 ただそこにいる。
 したがって難病だろうとなんだろうと、進行性だろうと、ただそこにいる人間であることにはなんのかわりもないということだ。
 もっと言うと「偉い人間」とか、「まともな人間」というものは、存在しないということだ。ただの人間は存在するけど。
 なんか人間になにかプラスの価値がある場合とない場合があってその違いがある、 などと思っている奴がおお間違いなのである。不正解。
  正解は「ただそこにいるだけであって、究極的には何をしたところで、価値はぜんぜん増えたりしないのでジタバタすんな」ということなのである。
 
 もちろんおおきい人類という固まりの中に、稀に、本当に100年に1人くらいの確率で立派な確実に歴史に貢献している人がいるのだが、あまりに少ないので、凡人どもはそんな確率無視していいのである。
 
 そゆわけでなにも気にすることはないお。
 
 こんなに頑張って虚無的な理論めいたことを主張するとは重症だなオレは。
 でも「なにがどうなってもどうでもいい教」ってのをつくりたいのよ。