なんというかね。年齢を重ねることはたしかに経験を重ねることだとは思うけど、その質がどの人間でも同じだと思うかね?
人間はだいたいぜんぶ阿呆だ、と、思う立場からすれば大同小異であり、どの人間も罪あってたいして立派なものでもなく、これから老いていくだろうしどこかでひょっと死ぬだろうし、歴に名を残すこともなく、財産残すこともなく、ただの生えて繁って枯れて落ちて腐蝕して腐葉土になるのがせいぜいの存在だ、どの人間も。
と思う立場もあれば。
そうではない、意識すればごくすくない自覚したものになれるし、最終的にはひたすら重ねることによって悟った者になれるのだ、つまりオレもまた一人のブッダになるのだ、と、念じて活動するものもあろうて。
いやね。さっきの「ダメ旦那」なんだけどね。
自分のことをどのようにみているかというのがあって、はたして、自分という像は自分では原理としては見られないものなのだ、目で目をみることはできない、
よって自らなにものであるかを知ることは不可知にちかい。
うぬぼれも卑下も、いずれも測定の誤りであるが、そもそも、誤りであるか正解であるか、どうやって知るというのであろうか。
って、それは「わからない」ことなんだから、いったんぜったいに分からないと知ったならばそこから先は「わかろうとしない」のが正しい態度なように思えるのだ。