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togetter「親の家を片付ける時がやってくる」
http://togetter.com/li/527224
 
いやマジでこれうちもそうですわ。
実家に帰るたびに、どうもならん古い家具古い蒲団古い服古い本古い謎の物体がやまとまみれておるわ。オレがこの家を掌握できるようになったらガンガンすててやると誓っておるが、両親が両方生きているので、片方が死んで片方が生き残ったときがもっともくるしい時間帯である。捨てられん、掌握できてないのに邪魔というね。
 まあ、そうなるでしょうけど。
 
 べつにオレが掌握することが最終目的じゃないのでどうでもいいが、その前にオレは自分の部屋(賃貸)をきれいに少なくすることをしていかないといけない。最近やっとそう考えるようになった。
 
 田村ゆかりのいたずら黒うさぎ。先週末放送分のオープニングで姫は「生き甲斐ってなに?ほんとうにマジおしえてほしい。お金、ってことじゃないよね」と語っておられた。そのまえに「この魚は本当にいきがいい・・・・うわ恥ずかしい!!」とおっしゃっておられたが。
 生き甲斐。そのために生きている甲斐があると感じられること、と。
 ときどき姫はまったくほんとうに真実真面目である。
 
 別にオレだって親が早く死んだらいいなあと思っているわけではない。ただ、かならずいつか、それもそれほど遠くない時期に死ぬということを思っているだけだ。
 なにしろ70ともなれば、そろそろ死の準備をしてもいいだろう。また、認知症の兆候について探ってみてもいいだろう。金銭管理がちゃんとできているかどうかを見てみてもいいだろう。
 
 などと思っているのは今日の夜のEテレで認知症についての特集第一夜をやっていたからだ(風呂ってたので録画した)。
 なにしろすぐそうなるからね。ある意味不可避で。確率的に。
 
 生き甲斐って何かときかれたら、うそくせえけど、今のオレだと「他人に貢献すること」と言ってしまうかもしれない。社会貢献。社会というのは他人の集団のことだから。
 貢献というとまたこれうそくさいが、なんというか影響を与えるということだ。
 いちおうオレは医療福祉業界に身をおいており、やってる仕事はそれなりに他者になにかを賦与するあるいは付与するattachする仕事である。語義としての。
 
 マイナスをくっつけなどしたら意味もないがプラスをなんらかのプラスをくっつけてきているはずなのである。
 
 もちろんゆかりんことゆかり姫のような方は「オーディエンス(王国民)のみなさんに元気をjoyを届ける」というattachをいつもしている方なのである。姫ってのはそういう存在だ。
 いつのまにか「アイドル」=「夢や元気をみなさんに分け与える仕事」ってことになっていて、綿谷りさ「夢を与える」でも読んでみたいもんだが、
 まあまあ。
 
 だいたい、「なんのために生きる」という問いを目にすると、多くの人は「家族のため」「子供のため」などと言うのだろうと思うのである。たいていの人は。
 というか、かつての多数派の人は。家族があって親がいて子がいて孫がいて、どんどん再生産がすすんでいて、大いなる流れのなかに我もいるみたいな感覚が濃厚だったと思うのである。
 
 で、そこの正反対というか写像というか残像というか、
 オレがつねに興味あるのは「子も配偶者ももたない人の、創作だったり、仕事に向けるスタンスだったり」のことなのである。
 つまりそれは「ひとりの人」のことである。
 
 姫などはひとりの人であるが実際プライベート知らないしどうなのだろうか。居酒屋に通って、あるメニューがなくなったことについて語るのであれば、それは「通っている」ことであり、居酒屋が巡回ルートにはいっているということだが。一人居酒屋できる人だとは知っているがいつも一人とは限らないしねー。まあまあ。
 
 長くなったのでいったんシメる。
 毎日考えること感じることはあるが個人情報とのからみもあり何でも書けるわけじゃないのがちょいとはがゆいぜ。