よる

洗濯終了。雨。けっこう強い雨
 
昨年の3月1日になにをしていたか。
引っ越し荷物を朝からまとめてほぼ間に合わずしかし間に合わせ、トラックを見送り、職場にいって最後の片付けを行い(PC),それから車で佐久から新白河まで走らせて0時くらいに着いたんだった。ありありと記憶している。地獄的な感じの一日だった。
 
それから1年経った。
なんもなんも。進歩はしていない感じがするー進歩?生き残るだけで精いっぱいだったしちゃんと生き残っている自覚もない。死んではいないが。
宮古のまちは好きになっている。最低限をつめこんだコンパクトシティだとは思う。
そして毎日の仕事は緊張の連続である。どこでどのように自らの至らなさを露呈するかわからないからだ。至らないということは能力の欠如と認識の欠如ということだ。何が重要なポイントなのかを理解していないということを、指摘を受けてそれがはじめて明らかになる(指摘をうけるまではそれを認識していない。それが認識が不十分ということ)。
そういうことを毎日やっていたら緊張の連続にもなるだろう当然のことだ。毎日そういうことをしている。自分ではこれでいいかと思ってやっていることが、十分ではないと、毎日指摘を指導を受けているわけである専門職としての責任ある行動をとれと言われている。
そうでなければ背信行為だとも。
自らの能力欠如状態を放棄してそのままに維持しているならば犯罪だとも。
いろいろ表現がまちがっているのだろうが認識’(現状)をそのまま書いているのでそのままなのだった。
それでも、3月1日に出発した佐久の土地でやってのんべんだらりんしていたことを継続しているよりはマシだと言えるのだろうか。マシというか。改善に向かっているというか、そういうことが本当にそうだと言えるのか。
緊張と弛緩。ここ数週間’(たぶん7週くらい)は休日(日曜)の過ごし方がひきこもりであるしアルコール摂取も増加している。外に行く気がしない。食い物があればそれを食っている。
これは鬱症状か。
米を炊く(自炊)気分も消えて二分で電子レンジでごはんのお世話になっている。
夜眠れないことはなく、食欲がないということもないのがまだ救いだ。
 
いま楽しいことは何だろうか。
料理は好きだ。パスタをうでて食いたい。