昼までに洗濯など終わらせて図書館で新聞よみ、昼には職場にいきいやな仕事をとりかかる、いったんいま家に帰ってきた。
いやなのは報告書の作成でウソをかかねばならぬ。
ウソ?
思ってないことを書くのはうそだ。
しかしここで改めておもった。生きるものは死ぬが、死ぬまでは生きている。生きているやつを、行きにくい、動作しにくい、身体がうごかしにくい、うごかないところがある、これできないあれできない、前はできていたのにいまできない、それに対して精神的にでも身体的にでも、なにか少しでもプラスをつけれると見込んでいるのがこっちの専門性というやつなのであるが、いっぽうでこりゃ無理だと思うものものあり、
あれども「無理です」といって断ることがゆるされていない。なんだこりゃ。
というか。
なんか受け止め方の違いなのか、フェーズの転換なのか、困難例こそ燃えるとかいうやついるが信じられない、というかそれはそもそものスタンスの違いなのか、
何をやっているのか、同僚上司から常時つきあげをくらうのは彼らはなにかプラスをかならずこのテクニックやスキルをもってもたらすことができると自信セルフリライアンスがあるからだ。
オレはどうもそこが半信半疑どころかぜんぜんないのであった。そうなのか全然ないのか
ないなあ。というかあるのかなあ。
どこまでなにが可能かということは正しい正確な緻密な効果的な評価があれば可能であるし、それの見込みがわかれば別に「何もできない」と落ち込むことはない、 みたいな思考ルートはあるのだが。
自分がカラッポだというトルフィンはじじいから教えをうけていた。
いいなあ先導者。
まあまあ。 モスいってうまいのかってこい。つづきがある。仕事の。ウソ報告書の。