なぜそんなビター^なものを観たいのか

昨日のゆるキャン△映画のことを考えている

また

本日みるかも?な映画のことを考えている

キーワードはビター

 

それこそ観る前から

500日のサマー

などは彼女にふられた喪失感の話

と思ってみておりそのとおりなのだが

見終わるとそれだけではない(じゃあなんだ)と考える

 

こちらあみ子は

周囲とは違う子のもつ悲哀(本人>?)という予告編である

 

リコリスピザは

格上の女にほれた男の悲哀を描いている(のか>>>>?)

ような予告編である

 

どっちもみたよ予告編

 

さて

 

ゆるキャン△には悲哀はそんなにない(そもそもシリーズ全体をつうじたムード

aspiration(願望)

として 楽しい方へ向かう

ことを行動指針とする女子5人のお話である

だから無理して仲良しみんなで集合とかしない(無理じゃなければする)し

キャンプを快適にするためのグッズは必要だし

大雨や寒波はできるだけ避ける(のに寒い山中湖で・・・)ようにしている

はずだ

サバイバルではないのである

 

社会はそれでも「ただ●●したいだけなのに・・・」をそう簡単に許容

しないというのが今回の映画か?

いや

そもそも社会うんぬんではなく

 

自然と故郷(の近く)が好き

というのであればなにも税金を用いた手段公務員をまきこむ手段

でなくてもいいのである

NPOでもつくって里山をちょっとだけ手をいれて

キャンプ場つくろう!地元の人とも連携して!

でもぜんぜんよかったのである

そっちのが地に足がついているようにおもえる

 

(オレが単にオレのアイデアすごいでしょとかいいたいだけ?)

(おそらくそうです)

 

ビターなるものは当然の仕打ちなのか>?

それとも社会に常在菌のように存在するのがビターなのか?