無職ライフあと少し

わかんないなりに読んでいるわけだ

 

でも一方で小太りおばさんのクレバーな質問

なぜ我々は税を払うのか

もやらんとかんのよ

 

税込ーーーーーー10%!!

 

さあ今日はねるか

格付けチェックにでてた辻󠄀ちゃんが可愛かったし

ああいくつになっても可愛いねえ

 

あすは東京だよ

はやおき

する

ぞーー

 

4時ごろ起きろ

はい

しぶとい国家 他人

それこそ「国家」という

つまりは人間の集団が 仮にでもこの地域を皆でおさめて仲間の

中でやっていこうぜ

とか

仮にでも政府ってやつ認めてもいいからここをうちらでまとめようぜ

というのが「国家」らしいんだよ

 

それまでの(それまでというのは絶対王政が出来る前)時代は

つまりは「中世」で

中世とはなにかというと豪族がいて荘園があって

そこで暮らす民は「奴隷」というか「農奴」というか

とらわれ民といいますか

まあそこにいるしかないというか

 

それに対して「絶対王政」は王たるものが「聖なる王」であって

たとえば病気をなおすとか

なんか霊性がありまして

民は王に進んで仕えることにきめた

きめて

そこにあつまる(他の荘園主の豪族とかではなくて)

ことでその王が他のやつら豪族をおさえつけるパワーをもつ

にいたって王だけが「支配権力」なんだってさあ

 

 

そういうのからだんだん「王をたおせ」みたいなブルジョワ革命がおきる

わけだがここでの「ブルジョワ」はもう貴族とかまあ貴族だけど

貴族じゃない民もいるしなんかこう

C(商品経済)が強くなってくれば身分とか関係なくなって

金あるなら名家みたいな?

そういう理解でいいのかな

 

なんか「国」は「民」のものになっていって

 

マルクス史的唯物論によれば世界同時革命で政府は国家は

発展的に解消するというがそんなことはなくて

柄谷によれば国家はもっとしぶとい

民たちの念のあつまった霊性のようなものが国家にもある

あるらしい

あるんじゃないか

みたいな

 

参考としてノージックアナーキー・国家・ユートピア

における「最小(規模)国家」とか

「相互保護協会」みたいな・・・

https://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/kenkyu/98s2/anarchy_state_utopia.html

 

さらに別の参考

デネット

心はどこにあるのか

心は何をしているのか情報処理なのか

ダニエル・C・デネット『心はどこにあるのか』|片山詩史

 

なんかね^ー^オレがおもうに

「ひとりの心」と「ひとりが他人に対して思う心」と

「他人同士が共鳴する心」があると思うの

 

それってそれぞれが別なんだと思うのね・・・

一人の中での心の働きがあり

その一人が誰か他人へ向けて指向して思う心の内容があり(ここではそれが他人へと伝わるかどうかは問題ではなく一方通行でよいのであくまでそのひとりの心の中で何が行われているのかの中での「他人を指向する」部分です)

そしてついに他人と他人が2人以上の複数で共鳴する心になっている場合が)(まれに)ありうる

と思うのね

 

国家なる集団(怪物)をつくるのって最終的には人間が複数なわけじゃないですかあ

 

ホッブスが本当は何をイメージしてリヴァイアサンを書いたのかちゃんとしらべないといけない(オレはそれを知らないから)

 

このように無数に無限に過去の研究は参照できるのできりがないともいえる

しかし面白いともいえる

 

アナキストを名乗るのであれば国家をどうすれば国家なし 

にしうるのかを考えなくてはいけないので国家を知らないといけないのである

渋谷こわい(映画みたらすぐ脱出するから)

とりま明日の渋谷で昼に「海がきこえる」の

チケット確保した(大人気)

 

みておきたい・・・・

 

午前にイケブクロで「台風クラブ」は

どうだろうか・・・

早起きできるならみるだろうけど

ね・・・

あんまり早起きしたくない・・・’(なんという単純な理由)

だってそうなんですもの

実際公開時にみてるしね

でもね

しらないといえば知らない(忘れている)

のです

でもね

う^んどうだろうね

どうだろう???

運まかせです

 

とりま渋谷にいくことで18きっぷラスト1日分は確定したのです

そうなのです

キマリ

思いつき

鹿教湯いくなら

ついでに軽井沢行って

ペイネ美術館とか

藤田嗣治のやつだけの安東美術館とか

いってみればいいじゃん

3月だから冬季休館も終わってるよ

ありがたいね

土曜日もルートインでも

泊まってさあー

気楽な予定

のんき

「他人」 ←「霊」

しかしまあそれでオレはえんえん『力と交換様式』を読みつつ

考えているわけだがその内容の中心にはつねに他人がいる

 

というか他人がオレにとってトゲであり嫉妬であり羨望であり

憧れであり欲望であるので

 

たまに電車や車で人の多いところにいくとくらくらする(めまい()のだが

そのときオレが観ているのは多くの他人であって他人は不思議なことに

オレにはわからないふるまいとかその他の行動をしているし

姿形もオレがみたこともない様子であるから

オレはずっと驚き続けるしかないのであるまるで山村でババアに育てられて

7歳まで人間というのはデフォルトでババアとして存在するのだと

思い込んでいたら突然都会の学校で多くの人間をみて人間とはこんなにも

バリエーションが豊かな変態だったのだ!と知るようなことだ

 

ウソですけど

 

しかしまあ他人がいるから「交歓」したり「交換」したりしている(せざるをえない)

のであって

まことに他人は厄介であり

 

つまるところオレは「この人間社会は厄介だ」と言っているのだが

そこでこの「社会」という言葉をつかうことにすごく違和感が年々ましてきて

社会なんていうぼやけた輪郭の言葉ではまるでオレのいいたいことにそぐわない

ので

「他人」ということにした

オレ以外の人間は全員他人であるという意味である

 

そして『力と と読んでいて一番思うのは

・きまり(法)

・暴力をともなう強制の命令

みたいなやつがオレがうまれたときにはもう既にそこにあって

なにしろ「小学校」というところにいくとなんでもなんしろ

命令されたり強制されたりそこでじっとしてろとか

いわれるんだけどそれっておかしくない?なんでそれをきく(従順)ことが

絶対なわけ?

同級生には命令をきかないやつとか教室を脱走するやつとかいましたが

まあそれは「集団生活の訓練になじめないやつ」とみなされていたわけだが

今思えばそもそもこの世には「そもそも学校にきていない同年齢の人」が

たくさんいてTHEYは病院とか施設とか家とかいろんなところにいて

いろんな事情で「小学校」に通うことがかなわないのだったと今はそれを知って

いるんだが

そう

この世はオレが知っているよりはるかに大きくひろく多様である

 

 

その「社会」において他人がオレに命令してくるし

オレが生まれる前から「お金」をつくってそれをたくさん「稼ぐ」ことで

食っているのだと知ることになる(父がその「仕事」をして「お金」を家へ

はこんでいた・・・)

はこんでいたのだ

お金を

いまならネットバンキングですかい電子的な

 

そして

ばばあとかを筆頭に「おっさま」という人が家にきたらもてなして

あと寺とかいって石にむかって手をあわせたりしていた

これが祖霊崇拝跪拝拝礼祈りだったということを知るのもまたあとになってからである

 

これで宗教と経済と法のことが出揃ったのだが

こうした「社会」における「他人の決めたこと」が全部オレに影響して

くるんだけど

じゃあその他人のきめたそれをオレが守らないと遵守しないといけない理由は

なんなんだろうかとオレが考えるのも当然といえよう

 

かたくるしいのはきらいである

 

迷惑かけないというが迷惑なんてのは誰だってかけている

んだよ

 

それで『力と

を読むといわゆるこういうのの「起源」に

さかのぼることができそうな気分になるのである(書いてあることが本当で

あるかどうかは別として)

すると宗教者がいったいどうしてそういうことを(その当時の世論に反する方向の

ことを)言い出したのか

ということがそこにあって

まあ「そういうことを言うことが霊的に強制された」つよい力によってそれを

言いたくもないのに言うことになってしまったというんですよ

はあ~理論的に考えたらこうなったみたいなもんじゃないんですね

とかね

 

お金にしても「交換につかわれる」もの自体がお金のできる以前から「モノ」が

あってそれは交換専用に使われたがなぜそんな交換ばっかりしていたかというと

神 とか 霊 的なものがそうしろといったからだみたいな話に回収されていくので

ある

そこが面白いと思いませんかえ

 

についてはまあちょっと「暴力」と「他人に命令をきかせること」

の話となると思うのだが・・・・(ここに霊が登場するとしたらどういう登場

だろうか?)

 

ともなくなんちゅうかね

他人のことがうるせえなと思っていたらいつのまにか

の話になっていくからこれはちょっと気分がおもしろいねっていう

 

がそうさせるのだというと科学の方面から何を非科学的なものいいをしているのだ

ニーチェさんとかも批判していたらしいがニーチェだって結局霊の方向に人間ごと

回収されてしまったから馬かわいそうで人間理性の世界から脱皮していったんじゃん

つまりそういうことだ人間よさようなら

 

オレが自分でも何を書いているのかよくわからないがともかくそういう

話が霊にいくと霊をばかにするやつは霊からのリベンジをくらうであろうと

いうことだ

 

ともあれ

他人がいる

 という呪いと救いの両面の現象そのものが人間ひとりを生かしてそしてさいごに殺すためにも不可欠だってことだよ

 

人間から人間ではないところへといったりきたりかえったり出発したりしているのだから人間ではないところのことは霊にまかせるしかないだろう

 

我々は人間界と人間以外の界をいききする存在なのだ

 

いったりきたりの往還なのだ

 

昔はもっとそこの距離が近かったんだろ(恐山とかそうだろ)

 

って思うんだよ

人間理性が全てを解決するのかとおもったら

人間はここに至って核兵器と核戦争と国境とジェノサイド

をちっとも解決できなくなっている

勝手にそれをつくってつくってから解決できないといっているのである

つくらなかったら解決の手間も無かったのにね

国境と核の両方とも昔はそんなもんみつけなかったしなかったんだよ

でも

国境にかわる「人間集団と他の人間集団とのあいだの境目」はあったかもね

それも

人間がつくったことにはかわりないが

還付金

やっと昨年払った所得税(天引き)の還付分が入金されたぜ

これで今年払う住民税も確定したぜ

ははは楽しいね

所得が確定するのは楽しいです

控除があるから少なくなることはたのしい

オレにとっては住民税がいちばんの決め手で

援助金みたいなのが(去年)きたのも

オレの計算の根拠の年が住民税非課税世帯だったからなんでしょ

それって「所得がゼロ」だったからなんだけどね

つまり1円も稼いでいない

すごいね

 

今年からは時給労働するのでそれなりに住民税も

発生するよ

そうだね

それはそうれでいいんだよ

今日は読書してその本をかえす

 

信州(鹿教湯)に湯にはいりにいくのは金曜に泊まるにしたらいいんじゃない

(車でいくなら金は雨だが土曜は晴れ間もあるみたいだから

のんびり浅科温泉とかもめぐることができるよ!)

(もうやっとあのへんの天気予報が雪じゃなくて雨になってて安心した)

 

水曜は映画東京で日帰りにしてさあ(そしたら18きっぷのさいごの1日分

を有効に大きく活用できるよ)

今んところ水曜だけは雨少ないみたいだからさ・・・

恥ずかしい認識

ssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssssss

 

好きじゃないじじいの発言でも内容がまっとうなら

それはそうだと思うねえ内容に同感という意味で

 

松田聖子氏が通信で中央大学法学部を卒業されたとのことニュースになり

2名のある方がコメントをついったで発言していて

「通信で最後までやり通すのは実際大変なことである(多くのやつは

続かなくなる)のでこの卒業は素晴らしいことである」という内容

のコメントだった(2名とも)

オレはこの2名と面識もないしなんでもないんだけど

そのないようには同感する

二人ともアカデミズムの人ですけどね

オレは別に好きでも嫌いでもないが

ないけどなんか鼻につく

かんじ

があるんだよ

「鼻もちならない」とはちょっと違うんだよなあ

でもさあ

2名とも男性高齢者で高齢になってから妻帯して

学位とって著作があって・・・みたいな

つまりそれってオレのあこがれじゃんね

オレの嫉妬はオレのあこがれのアレだ

同質直結だ

みたいなことですよ

ああ

恥ずかしい

 

そのとおりで現金などほしくないが金でかえない実績が証拠が

欲しいってこころから思うこともあるだろう

それが乾きでそれが飢えでしょう

じっさいそうじゃねえのか

いまひさしぶりに雷鳴の大きい音をきいたよ

ひでえ天気だな

菜種梅雨のくせに激しいぜ

また布団に戻る朝だぜ

無職パラダイスもあとちょっとだけだぜ・・・

どっかにいくなら雨の様子をみてからにしたほうがよさそうだぜ

 

無人島のディーバ」を角田光代さんが「ちくま」ですすめていた

あの「ウ・ヨンウ」のウンビンさん(超かわいい)が出てるってんだけど

同一人物だとわかんなかったっていう趣旨のエッセイです

へえ~~~

みてみたいね!