http://www.so-net.ne.jp/e-novels/hyoron/syohyo/260.html
そうかあ。たしかに。分裂。ある人の前ではそのような、この人の前ではあのような。でもそれって誰にでもあることなのではないでしょうか。一方フィクションの中ではかえってその人格の統一性が不自然なまでに保たれていたのは、そうしないと誰が誰なのか、わからなくなるからだ。ということはよくいわれることだと思っていたが、よく言われる程度のことをここに書いてみると、それは「スクランでの播磨の人格分裂」とはあまり関係ないような気がしてきた。私の考え。播磨は、最後まで、八雲の気持ちにも沢近の気持ちにも気づかず、さりとて天満ちゃんにもふられ、ひどい状態のまま終わるであろう。
そうか、RCさくせしょんでオリエンタルラジオか!いま、録音したての「いたずら黒うさぎ」きいてます。