いったい、誰が。
 
朝おきてまず電車にのるのは休日だから。平日に電車にのるのはさいたま県にかようためだが休日はのること自体が目的で。サンスポを車中でしっとり読む。はあ。モチは名前で大変なことになっているが、ただの競走馬であり、伸びるとかねばるとかのイメージを持たない方がいいに決まっている、そんなん予想のジャマや。タスカータソルテという言葉がどういう意味なのか大変気になる(まだしらべていない)。タソルテソルテ_>?
 ハロモニ(今日の)。おおおおお。結構いい回でした。小春とれいなのお化け屋敷克服ものがたり。暗示をかけられている女の子はたいへんいいですね。そそる。ぼやっとしてる顔にそそられる。記憶が出てこないでヘンな顔してるガキさんもそそられる。そしてエアロバイクに苦しむ姿もそそられるベリーズの皆さん。ちなこおめでとう。そして苦いお茶のリアクションみんなちょっとやりすぎ。というか難しいよねこのリアクション。歌(VeryBeauty)が超口パクでちょっとやりすぎだったが、カメラ切り替えでたのしめた。とくにまーさが映されるたびにほほえましい気分になる。熊井ちゃんパンタロンは惜しい。すげえながくてきれいな脚をみせてほしい。雅ちゃん化粧濃いぞ。そういう意味ではエアロのときのTシャツ&ナチュラルメイクがみれたのは良かった。
 朝、やたら暖かく、春なりかけということで空気にスパイスが混じっているのを感じた、なにか、が、嗅神経を刺激したのだ、昨日までなかったなにかが。
 ひとさまの日記を読む。手術後の経過は順調なようでなにより。自分基準というものをもっている人である。他人から認められるかどうかが、あまり関係ないような。もちろん、認められないとおまんまにはならない訳だが、それでも、独自の路線でいける人である(そいつは誰だって話ですがあんまりここに出したくないのでまあ)。自分基準というもんがあれば、誰に何を言われようと、特にへこんだりしなくて済むのかもしれない、やることはやっていれば。ただ、昔よんだインタビューで、たとえば入ってまもない年数浅いころの娘。5期がバラエティでの振舞いでどうしたらいいのか分らなくて、大人しくしてても駄目だし前に出ていこうとしても変にうるさくなってしまうし、それで怒られて、じゃあどうすればいいんだよお、って苦悩したりしてた頃の紺野さんのインタビューがなんか思いだされまして、そういうところは「やることはやってますから」というのではなくどちらかと言えば「他人からの評価が絶対評価」なところがある。一方で学術とか研究とか、「絶対評価は業績であり客観基準で量れるところから導き出される」のであった。
 他人からの評価というとあいまいなので「他人がそれを見た印象での評価」と書きかえよう。他人に認められるというのは単純に言うと他人がそれにいい印象を持ってその人のことを認めてくれるということだ。
 一方で客観基準があれば、それは物差しであり、人によって物差しの長さが変わるわけじゃないから、印象はどうでもよく、物差しにあてがうだけである。
 だが困ったことに、物差しはおまんまを与えてくれるわけでなく、物差しの目盛りを見る他人というものがいて、これが、「政治」である。権力的配分。