ところでいま認知症についてちと調べていてその内容を整理する意味でここにすこし。
認知症と簡単に言うが、それは全然簡単ではなく、難しい分からないことを、むりくり名前をつけることで少しはすっきりしたいというだけのことであり、じっさいにはわからないことの方が遥かに多い。わかっていることとしては、これはあくまで分類のことだけだが、Wikipediaによれば「中核症状としての記憶障害・認知機能障害」が、まずある。そして周辺症状として「幻覚・妄想、徘徊、異常な食行動、睡眠障害抑うつ、不安・焦燥、暴言・暴力など」がある。考えてみればひどい病気である。病気じゃなければ、一部は犯罪である。そのように人間を変えてしまうわけである。薬も使ってないのにね。神経細胞の化学的な変性・脱落。そういうふうにケミカルなレベルで考えると、ケミカルに薬で対応するしかないようにも思えるが、結局脱落の場合には新たに脳細胞を薬で作り出せるはずもなく、どうしようもない。レベル変更。ここで「認知リハビリテーション」といわれるようなはたらきかけ。音読、計算、周囲から話しかけるというコミュニケーション、そしていくつかの認知的課題の練習(「脳トレ」!)。それによって、改善だの、機能維持だの、すくなくとも進行しなくなった、という報告がみられるわけである。これを、どういう風に解釈するのがいいのか?ケミカルなレベルでは何もしていないわけである。なんというかソフト。しいて似たものをさがせば心理学・精神医学の関連分野にいきつくわけである。ああ。なるほど。つまり境界の現象なわけだ。病気らしい病気と、病気らしくない病気の間の、中間くらい。病気らしい病気というのは、医者にとってのわかりやすい病気である。切ったりはったり薬だしたりすれば改善がみられるもの。それとは別に、人間の変調として精神の病があり、これには自由連想やらなにやらの薬物つかわない方法でしかも口で喋る方法(本当は環境設定とかいろいろあるのだろうが)が使われたり。認知症をまじめに病気として治癒させようと思っている人は、いない。わかりやすい病気のカテゴリに入るものではないから、「治癒」が相当しないレベルにある現象である、という理解が前提としてある。だから、病気なんだと思わない方がいいのかもしれない。名前をつけたが間違いか。