「成功」と「社会変革」と

http://www.chikawatanabe.com/blog/2009/04/future_of_japan.html
気になることとしては「成功」が何の注釈もついていないけどこれは「経済的成功」であること、そして、
コメにあった一文『目指すは「自分の目に見える範囲での相対的優位の維持と安定」だったりして』。
相対的優位。あいつよりオレの方が上だぜ地位名誉給料人徳人気。
ところで「成功」した人がたくさんあつまっているところの国が「いい国」なんでしょうかね。アメリカっていい国かしら。日本がいい国かしら。どっちもどっちだし、正直オレには決められないと思う。
日本がどうしようもない国になってしまったというならば、そこで必要なのは社会変革である。みんなのちからでみんなの国をかえていこう。みたいな。
そのときに必要なのは「成功した人がたくさんいること」「成功できるようなかんじのところをつくること」なんだろうか。
前にたしかVIPで「外資系をクビになった」女性のスレというのがあってオレもこの日記でそれについて書いたような気がする。あの人のもらっていた給料はそれはもうオレなんかからみたら天を仰ぐような高給だった。そういう人は「成功している」んだと思うし、じっさいに日本にはそういう人もたくさんいるのだろう。
しかしそのような人がたくさんいるところが社会変革に向かうかというとそんなことはないだろう。
だんだんわからなくなるのは「金以外の価値観」についてまじめに考えることの意味だ。なにしろ世の中は「成功」といえば経済的成功のことを意味するがごとくの世の中になってしまっているいま、それいがいのalternativeについて考えるのはとても困難だ、リアルさを付与することが。
 結局オレみたいな性格の人間は海外で働いてすごすことが日本で働くことよりも正確に「マシ」であるような考え方ができない。日本が立ち直れないのはひょっとしたら事実かもしれないが、それでも「立ち直れない」ことについてのコンセンサスも無いと思う。経済的に立ち直れないのであれば圧倒的な貧富の差があり社会保障がなく治安が悪化し財布を持ち歩かなくなるだろう。倫理的に立ち直れないのであればいまある資源をつかって他のすべての国を脅せばいいのである。日本にはたくさんプルトニウムがあるし。立ち直れないっていったいどういうことをさしているんだ。わからない。