というのは社会と個人は切り離して考えることができるか
最悪の国家で個人だけは愉しく暮らしていけるのか
ということを考えるとやっぱり
全体主義国家で個人だけ楽しく暮らすのは
下の階級であっても上の階級であっても無理だと思うのである
さいきんロシアとか中国のことを考えることがあるのだが
やはり指導者はいつも「永続戦争!」とか考えているから休まるときがないし
下の民はいそがしくあわただしく労働を永続しないといけないから同じく休まるときがない
じゃあ資本主義国家はどうなのかというとこちらもおなじようなもんで「経済戦争!」とかいって
休まるときはないのであろうと思う
しかし比較でいえばまだ資本主義の中に全体主義ではない部分があるていど以上ある国のほうがまだ個人がたのしくくらす余地が残されているのではないかと思うのである
「ある程度の労働」をすればそれなりの平穏な安寧があるような暮らしができるようなかんじの社会
それは皆がそれぞれにコストを払っている世界なのだが
どうしてもオレは社会に対しての個人という視点からのがれられない
ほんとうは社会のことなど考えたくもない
(勝手にしたいし勝手にどこにでもいきたい)のに
それでもオレが日本が一番暮らし易いと考えているのも事実である
英語はある程度わかるけど
日本語がわかる程度にはぜったい追いつかないし
日本にある日本語で堪能できる文化
にかわるものがないからだ
そう
社会以外のことでいうと
オレは人間関係にもはや興味がないので
何に興味があるかというと
・あらゆる文化であり
あと
・オレがどこに行ってなにを観たいか(風景も体験も)
というこの2点だけに興味がある
そういう人間でも(ほっとかれて)生きていけるのが
「よい国」である
と
そう考えている
まあそのあと死ぬのでそこでペイである
ツケは払うよ
ということである