靴がよければ雨など気にならない。
と言うことにした。
年はとっても少女は少女。
さて今日は天才的料理をつくっており。このすばらしい香りをネットにのせられないのが残念だ。
「ひとりで生きるモン!」3巻の感想を書いてなかった。
ひとことで言うと「ヲタクとしてこのままひとりで生きてく覚悟みたいなもの」を強く感じた。そのときにはやっぱり創造性みたいなものがキー(Key)になるのだと思うのである。というのは、やっぱりヲタクみたいなものであるからにはなにかお話を読んだりみたりしててそしてまたそれのために得たものというかおしつけられたものを外になんらかの形で出していく必要があるのである。ヲタクみたいなもの(者)であるということを言うときに、大切になることは「お話」を大切にしているということである。フィクションという形といおうか。それは「いい大人にもなって、お話をありがたがってるとは」という揶揄に答えるものである。
お話というのはつまりフォーマットのある形式化された人のつくった「人のお話」である。つまるところウソである。
アイドルというのはきわめて洗練されたフォーマットの上につくった「人の形をしたウソ」である。
そういうものになぜよわいのか。弱いのよ。よわい理由は「きわめて洗練されている」からである。
現実界というものがあって、その中に生きている以上、そこにある人間関係は洗練のきわみから遠く隔たっているばかりではなく粗雑で粗野で粗茶で、荒く、ざらざらしてひっかかりが強く、エゴの形がとがっており他人は他人を傷つけるばかりでまるでその傷つけかたにも鋭さもなく鈍いナイフでわざと傷口をざざあざあとひろげるばかりである。
そうではなくてお話化されたものというのはとてもそのエッセンスだけを純にひろいあげてきたものなのである。
マンガもアニメも小説もラノベも映画も音楽も俳優も演劇もフィギュアも全部。
全部「お話」なのだ。
そこからうけとったものというのは現実世界のものからうけとったものよりもはるかに純度が高くピュアであるために日記などを書かずにいられなくなるという効果があるしつぶやいてみたりそれに影響をうけてマンガを小説を書いてみたりするのもこれすべて自由であるがとにかく何かを吐き出したくなるのである誰か現実界の他人に向けてよかったよこれよかったよなどと言うだけではぜんぜん足りないのである。まあ狼みたいなハロヲタのための場とかもあるけれどそこで固定とかやっててもあるいみそれは自分の発露ではないのである匿名の発露。それではむなしいのである。まあWEBの上の日記も匿名の発露に過ぎない面バリバリだけれども。
なんてことを思ったのだ、マンガを1冊読んだだけで。