というわけで明日から9月だがはやくも当地は山山県のため秋がもう到着している。よるさむいしあささむいし。そういえば去年の秋はどうしていただろう。1年目だったからムチューで過ぎてしまったのだろう。ほとんど覚えてないから。というかオトナになってからの記憶などほとんど無いに等しい。そうなのだ。あっという魔に。間がさして。じじいの「ボケ」を笑えない。ジジイは自分の若いときのことばかりいうのだが、(注・オレの祖父ではない。一般名詞で老人男性をさすものと思ってほしい)、つまり若いときの記憶しかなくて、中年とか現在とか、昨日とかの記憶がほとんど無いのだが、それはなんとオレも同じなのだ!
 それが怖くてこうして毎日日記を書いているのだ。書かないと記憶などどんすかトンでいくのである、彼方へ、海の向こうへ。
 そしてこうしてまた今年も秋がきたのだが、おととしの秋のことは覚えていても去年などしらぬよ。ちょっとこの日記の去年の秋を見てきて?何やってた?しらんよ?
 ともかく日々の仕事が忙しいとかぬかしてるというのは大変に危険信号である。
 コドモとかつくると、その成長がトリガー、いや、その成長記録が、ひっかかりとなって、この子がこのくらいのときにこういう事件があってとか「ペアリング」ペアマッチで思い出せるのである。記憶のインデックス化。よくある。タグ付け。それがぜんぜんない日々のことをのっぺらぼうというのである。オンナに振られるのもいいタグである。もっとどんどん振られるべきかもしれない。そうすればここであの子にここではあの子にと記憶に彩り(賽目河原の石の色のごとくの)ができるであろう。
 そうそう秋だった。
 秋は食欲の季節で今日はトマトをもらったのでトマトじゃがいもサーディンで煮込み。超うまい。トマトの水分のみを使って水をささないのがポイント。油はたくさん。
 べつに記憶を鮮明に彩色つきにするために生きているわけじゃない。なんとなく生きているのだ。もうちょっと先になんかいいことありそうな根拠のない予感にひかれて。あの青い宝箱にはなにかいいものが入っていそうな気がして。まさゆき地図が9階までしかもぐれない。弱くて。はぐれ・・・