難問

夢とか、夢って目標のことだと思うんだけど、「ちゃんとする」じゃだめなのかな。
具体的でない?そうですよ。
 どこまで具体化できるかでその成否が決まるというのならば、「結果としてちゃんとしたかんじになった」とかそういうイメージはあまりに抽象すぎて達成できないということか?
 
 で、ちゃんとしてるって何よ。
 
 そういうことな。ちゃんとしてるというのはいわゆる「ちゃんとした収入が定期的であるような」職業人?
 農業で一年一作であれば、年という単位をきめて、毎年収入があることをさす。
 月給でもらうサラリーマンであれば月ごと。
 フリーランスであれば契約ごとに。
 
 ちゃんとしたといえるだけの額って?いくらから?
 
 などなど。条件はいくらでもこまかくできる。合法であるとか、時代の浮沈に左右されないとか、ギャンブルではないとか、いろいろ。
 
 まあそんなのわかんないよ。
 
 いや今日は当直明けで、眠いのだが、朝、車にのって、このまま家に帰ってもたぶんつまんないな・・・と思ったのだった。なのでそのまま荷物積んだまま下の道を県庁所在地へ向かった。大きい本屋があるからである。
 はたして、目的の本はみつかった。「ビッチ・マグネット」「無頼化する女たち」。
 この2日くらいで、やっとフィクションがまた読めるからだになったので、なんかともかくフィクションが読みたくなって舞城王太郎
 なんでフィクションをまた読み始めたかというと今年は幸せについて考えるからである。
 年始に、1/1に、そのことを考えた。というか思いついた。
 多分ひとりでやることには限界があるのである。
 
 本はいい。本はオレの書いたものじゃないので。他人の頭の中を金をはらって読んでいるのである。

 ああそれで幸せの話だった。今日思ったこと。自分で幸せになろうとしていないことというのは、もしかしてそれがマイナスの方向で「どうでもいい」と思っているのであれば、それは自分ひとりに留まらず他人をまきこんで他人にマイナスを撒き散らすことになるのではないだろうか。つまりそれがプラスであればプラスを他人に与えることになるのではないだろうか。結局「他人に対しての影響がゼロ」ということは有り得なくて、ぜったいプラスかマイナスかになってしまうのではないだろうか。
 と今日思った。
  
 それで眠い体にムチうって車を県庁所在地へと走らせたのだ。なにもしないよりはなにかすべきなので。