午前の外出を経てきたく
鼻は
超ひどい
図書館へ
週刊文春(宇垣総裁号)よむ
今週の題材は
フィーヤン掲載「こっち向いてよ向井くん」
既刊3巻まであり連載中
自分の幸せもわからんから恋も愛もうまくいかない向井くん
誰もわかっている人がいない
宇垣総裁自身もじぶんの「幸せ」の形が
どういう形なのかがまどわされてわからぬという(本当に
わからないかどうかは別問題)
日本の仕事する30代の生活と精神の
精神生活の
不安定さ(価値の紊乱)
紊乱とは:
みだすこと みだれること
そう
価値というのは体系であって
そもそもはヒエラルキー(上と下の方向が決まっている)
確定しているものだった
だが「人それぞれ」というネーミングが登場して
そこからわからなくなる
ネーミング(一時の流行ではなく、人はそれぞれの”価値”を
もつことが あたりまえにそうなんだ と いう ことについて
の 名前をつけることになって という意味合い)
自分がそれを決めればいいんだということがあったとしても
それを決めるには
そもそもが「外からなにかを学んだ」ことを材料にして判断するしかない
のであって
ということは外からのこれまである既存の価値体系から
影響をうけないわけはないのである
他人に惑わされない
というのは難しいことよ
そもそもの金の金銭の資本の
それをお金であることにするという約束ゴト(フィクション)も
他人がつくった価値体系だからねえ
生まれたときにはそれが既にあったわけだし
なんにせよ
我々は混乱の時代をいきている
混迷の現代
現代というものが混迷でなかったことなどなかったのだが
(江戸時代が平和だったというのはウソで
江戸だって300年の中でゆれうごき人ごろし)
とかね