こんな真夜中に

有名人をついたーでふぉろーしていておもしろいかつまんないか、幻想を保っていたいのかいたくないのか。
 はっきり態度を表明しているような人もいればわかんない人もいるし。
そんななかで「----のためについたーを使っている」とはっきり言ってもらえれば(幻想みたいなのはちょっと醒めるけど)ああそうですかと納得もできる。
 しかし姫と呼ばれるだけのことはあり、ツールとしての双方向メディアを、あるときには一方通行メディア(宣言を出しその宣言に対する反応を大量に短い時間で収集する)として使用し、またあるときには少ない人数の顔見知りの仲間との双方向コミュニケーションツールとして使用する。
 問題というか気になることとしては少ない人数とのコミュニケーションのありさまが一部だけその外側に露呈するということで、それを「かいまみる」大量の一般市民(負う国民?)が「あ、いまちらっと姫のおみ足が見え(比喩表現しかも暗喩)」なんて思うことは民にとっては喜びでもあり悲しみでもある。姫には足など生えていないものと思っていたからである。いやそうではないのである。嫉妬である。
 嫉妬みにくい。ダメ。ゼッタイ。
 しかし所詮そういうコミュニケーションの断層があることなどはじめからわかっていたけどそのことを認めたくなかったのでそんな断層オレには見えないよと合理化していただけのことである。
 ということがわかってきたが、わかってきただけにこれはオレにとってはキツイなあ。