仮にでも

いいので、像を記してみてはどうかね。

それがお笑い草だったとしても別に構わんのである。なにしろたまには具体性格をもたせないと成るものもならないえ。

まずは「15年後の55歳で浜松市の市民になり」「職業は2個あって一つは非常勤で理学療法士でもう一つは著作業みたいな売文業」「実家でリフォームで居住」。
3つ。
えーとこれが実現すると嬉しいかね。
具体性の話をするならば、いまからリフォーム貯金はじめないといけないだろうし、著作を出したいならそれなりの努力とコネクションが必要だろう。
15年後じゃあたいして給料も上がってないし生活は苦しい。
訪問看護ステーションの開業(共同経営者が必要)というのも考えたことある。
自分がケアマネ資格とってとか。
しかし金の話はちょいと脇においておきたい。
もちろん金がないと野垂れ死にするのは事実でありますけれども。でもそのために、先に「金の手段」ばっか考えていると目的が達成されず、死までに間に合わないのである。
目的、それはしたいことをして楽しく時間をすごすご。である。
最近の登山で歩きながら考えてたんだがオレが登山を好む理由がちょっとちょっと分かってきた。それは登山がオレにとって実によい自己効力感の発露になっているってことだ。「できる」「できた」「うれしい」ってことだ。今のところこの快楽楽しいより楽しいことは滅多にない。なにしろ登山はオレ一人でできるもん、他人を必要としない。
ここで極端にいえば登山だけを追求ってことになるのだが、それはバランスを欠くやり方である。
他人との共同みたいのも残しておかないといけん。それがオレにとっては仕事であり仕事の上で出会う人である。商売が理学療法士なので医療機関福祉施設その他の職場を通じて多職種連携、仕事のうえだけなら気持ちよく話できる人がたくさんいる。仕事はいい。仕事最高。
いつも回避しているが仕事以外のところでは。続く。