帰宅

そばくうつもりだったが

スーパーでくるみチーズパンやすかったのでかってくって

ポテチくったので

それなりに腹がみたされた(ちゃんとした夕食食うからひるはこれで)

 

図書館Mとスタバとはしごして

じっくり読書したのでだいぶすすんだ

 

アーレントが登場して

「私生活に欠けているものは他人である」と

『人間の条件』に

書かれた

 

その意味とはつまり「公的空間」「私的空間」「他人からきりはなされた個別の

ほとんど意味をなさない無意味な人間」(さいごのはオレがかんがえた)

みたいな話である

 

他人とどこからもつながらないような「私生活」は別に

なんかを守ってるわけでもなく

意義もなく

ただの無意味な生と無意味な死

なのかもしれぬ

と思ったよ

 

読書がすすんだので「生きてる」実感がもどってきた

オレはどの他人ともつながっていないし

意義のある交流などなにもできていないが

かわりに本を読む能力を手にいれたので

それで本を読むわけだよ

 

「かわりに」

 

かわりに???

 

それこそ人からきいた話だが

これは出典があるのでもし商業で発表するなら許可が必要なのだが

「販売において中学生とかが高価なスパイクを買っていくのをみて

オレは中学生当時にそのような高価なスパイクを買ってもらえなかったので

いま比較的高価なコンビニのペットボトルを買って浪費するのである」との

証言があったそうで

「ので」の順接の使いかたが間違っている

なぜならこの文脈ではなぜ浪費(水は水筒に水をいれてもっていけばいいのでは)

したいのかが「復讐?」になってしまう

まあ復讐なのかもしれないけどね

 

オレがさっき「かわりに」を使ったのは

人間が他人と交流する能力をもつものは

あたかも

本を読む能力をもっていないかのように仮定してるわけだが

両方持ってる能力者がいたらこのつながりは瓦解するねえ

してもいいけどねえ

 

なんじゃの

なんじゃも

 

午後寝します

(ポテチで腹がふくれたから)