よく言われることだが、もう「オリジナル」などはなく、すべては既に行われ書かれ演じられ解かれ歌われ語られたことなのである。
事実関係が何であろうともオレの受け止めた感情がOKならすべておけー。というか起こることはすべてあることなので人間の社会の内でしかなく、ということはかつてあったことの焼き直し。恐れることない。
死さえも。死、それは既にすべての「今生きていなくてかつては生きていた」人間たちの経験したことなのである。
死んだ人の延べ人数って有史から何人くらいだろ。1000億人くらい?
と、ついいたーに書いたりしてみたのだが、これは「全人類の経験値=オレの経験」ともいえる態度である。不遜。
もちろんオレは何もしらない。
しかしこの先にオレに起こることも、また、すべての人類がどこかで経験を積んだことであって、完全オリジナルの新作アクシデントなどでは有り得ない。
と思うとその出来事はどんなものでもたいしたことないようにも思えなる。
「やる夫がフューラーになるようです」読み続けている。ドイツはいよいよ惨憺たる暴力の嵐である。
日本もかつてそうだったし、いつでもそうなるだろう。同じような人間がおなじような言説を声高くぎゃあぎゃあ言ってわけのわからん条例を成立させたりしているのである。
もっとまとめサイトを読むべきだ折角なら。ネットばかり見てて現実を見ていないとかいわせないのであるもうどっぷり読んだら濃い情報。
たしかにネットでみる物語は特別に濃い。
誰かが言っていたが
電子書籍は書籍とはまったくの別物なので名前も違うものにすべきだと。
ネットにある言説もまた。
ではおやすみなさい。