shine

メモ。ためしてガッテンヒートショックプロテインとか和温療法とか体温上昇でなんとかって話しているが、これはちょっと「デマ扇動」にも近い扱い方である。たしかに「Aという方法が、Bという症状に対して、Cさんの場合には効果があった」という事実があってそれを紹介するのはいいが、これは「Aという方法がBという症状に対して、DさんにもEさんにも、Cさんと同じように効果が期待できる」ことを意味していない。
 その意味で、いちおうNHKは教授を呼んできて「なんでも温めればいいわけではなく、悪影響もありうるし、今後の検証がまだまだ必要とされている」と言わせた。しかしこれはアリバイである。いちおう警鐘は慣らしたよ、ということだ。
 人間の健康はそんなに単純化できるようなシステムではないし、もっと手ごわい、扱いにくいものではないか。明らかに悪いとされている因子が大量にあって、かつ長生きする「悪い奴」の説明ができないくらいのものだ。喫煙、飲酒。
 薬として現在使われているもの、認可されているものならば、「熱発に対して、解熱の作用を起こす」しかもほとんどすべての人間で。解熱しない場合には「他の重要な原因がある」から、と、考えてほぼ正解。
 うーんオレは何を言いたいのか。厳密さがどのくらい必要とされているかについての問題か。
 
メモ。まなめさんのところで見た。
『家事と「認識ギャップ」の存在、そしてバックワードチェイニング』
http://d.hatena.ne.jp/nishiohirokazu/20110510/1304954806
(西尾泰和のはてなダイアリーさんより)
 
気になったのは行動分析学
多分オレは興味がある、行動を起こす元にあるものと、行動を起こさない元にあるもの。それは別にオレ自身の行動ではなくて、仕事で、たくさん見ている他人の何をして何をしないかの、いや運動してほしいんだけどね、オレの考えでは運動が通常考えられている様々な「健康法」の中で唯一にしてもっとも汎用性のある方法だと思うんだが、多くの他人がそうではないように行動しているのだ、まあできないという要素もあり、そこは方法をオレが考えなくてはいけないのだが、さて。モチベーション。報酬。マイナスの因子、やりたくない理由になるもの。そのあたり。
 行動分析学の場合では、行動が反復されるときに、その原因は「行動の結果」にある、そうだ、が、そうなのかどうかはオレが自分で確かめないといけない。
 行動の結果が受け入れやすいものなのでその行動を反復するとして、受け入れがたいような場合、その行動をやめたい場合、やめたいのにくりかえす場合、などなど。