よる2

正直いってオレはここ最近医療の無力について考えていたのである。
 つまり医療は何もできない、ということだ。
 
 そんなことはない。という意見もある。そして、その通りだ、との意見もある。
 
 基本的に「死」を遠ざける医療は、ちょいちょい進んできている。感染症を克服するための努力、衛生、ワクチン、予防接種、栄養。運動。
 まあでも人間は死ぬ。だいたい100年くらいがせいぜいの大多数の限界だ。それを越える少数はいるものの、120までにはすべて死ぬという結果だ。
 永遠はありえない。
 
 そして死ぬ原因こそ様々であるが、疾病、事故、自殺。
 医療が関係するのは疾病である、疾病をいかに治癒にみちびくか。
 
 昨日、めだかちゃんについて考えていて書いたことだが、勝利とはなにか、能力とはなにか、そういうことを考えていると、優劣について考えることがだんだんバカバカしくなってくるのである。
 医療について考えるときにも、結局その「治癒」なるものがいったいなにの役にたつのか、ちょっとバカバカしくなることもある。死にそうになっているものを助けてみたが、そのあと死んだ。死ぬのは大方の趨勢である、じゃあちょっとのばしたことに何の意味があるのか?
 
 
 医療が存在する意義は、「若年での、不慮のもったいない死を、回避させる手段」ではないのか。と思ったこともあった。
 
 しかしつまるところ現実はシビアで実も蓋も無いものである。斃れる、動けない、痛い、わあわあ。入院すればそれは患者である。医療なのか福祉なのか、そんなんわけわからん奴が地方のちょっとした慢性期みたいな病棟にふってわいてくるしこれは医療じゃないよなあと思いつつも何かしなくてはならない。これが地方の現状。
 家庭はそんなん世話したくないからなるべく病院様におしつけたいのである。
 
 一方で深刻なCVAつまり脳血管障害が発生してそうすると地方の一次救急病院に送られたあとに二次的に回復期病棟のあるところで過ごしてリハビリが金になっている期間が終了した、するとそのあとにある地方のなんてことない病院に送られてくるのである。いわば後始末である。ここからの回復なんてもうあんまり見込めない。そんないわばゴミ捨て場である、
 ゴミ捨てというとあまりにも見栄えがわるいとするならば、最終処分場であるよ。
 
 地方にはそのような風に吹かれたゴミの吹き溜まりみたいなところがあるのさ。