よる

自由、あるいは公平(公正)fairnessについて
 日本国にはfairnessがない。
 
 昨日かおとといか、「日本には理念を選択するための選択肢さえない」と書いた(同じ文言ではないが)。
 今日は人民の不公正不公平政治的な間違いについて書く。
 
 「出不足金」である。罰金である。
 
 罰金を科してもいい(認められる)のは公権力だけである。公権力は暴力を強制的にふるうことをゆるされているーーー法という体系によって。
法はあくまで人民が「代議制により」つくった、自らを自らにのっとらせるルールである。
 
 日本国においては「ルールが自由をしばる」ことについての危険性そして厳密性や尊厳についての認識がおそろしく低くて愕然とするし恐ろしいし、あきれる。
 阿呆としかおもえない。
 
 「出不足金」でググるだけでそのあきれっぷり驚きっぷりは十分である。
 市民行事。
たとえば「市民一斉清掃」しましょうね、という日。
 その、朝に、清掃に、参加、を強制する「町内会」「自治会」、やつらは「不参加者は罰金を払え」と言う。いったいなにの根拠で、いったいなにの理屈で。
 「一斉清掃は市民の義務です」そんなこと市は言ってないぜ。
 「義務を果たさない人はかわりの義務をはたせ」あんたそんな条例でもつくったのかい。
 
 皆がそれぞれの義務をはたすべきであるというテーゼと、罰をあたえる根拠とは何の関係もない。
 私的な罰というのはリンチというのである。恥ずべき未開の習俗である。そんなことやってるんだ、阿呆だねえ、という。
 
 江戸時代じゃないんだよ。
 そんなことやってるからどんどん若いのが去って老人ばっかりの救いのない地域になるんだよ。