一旦帰宅
サービスというのは、金銭を対価として、なにかをattachすることではなかろうか。その行為そのものである。
たとえばパタゴニアやスタバの店員の「サービスがいい」のは、彼ら彼女らの言葉づかいがpoliteで、、わかりやすく、また tidy であるから。そしてビジネスとしての笑顔を自然に扱えるから。
別にこっちが求めている以上のものをつけくわえようとかしない。
それは小売としては理想的である。
介護医療の分野においてはまず「何が求められているか」があいまいである。
生命か、清潔か、機能の回復か、あるいは精神のたてなおしか。
わけて、できるのか。
そもそも医療のニーズというのがおかしい。求めて得られないのが健康であり、若さであり。
それはセルフケアということだ。
疾病をなおす力をもつ人間をどうやって見抜けというのか。
老人がうごきがわるくなったからといって劇的に改善できるのか。できるわけない。彼彼女老人、
どうして動けなくなったかというと、動けなくなることを見越しての対策を本人がたててこなかったからだ。ともいえる。そうでないともいえるけど。
いろいろ問題がおおきく散らばっているがニーズとかデマンドとかそういう用語でこの業界をまとめたら駄目なのである。
ケアなんだが、ケアというのは本来の対価がいくらなのかを算定しにくい分野ではなかろうか。安く買いたたかれるのはオレのような「できなかったやつがケアを必要とするんだ」みたいな失敗ゴミひろいみたいなことを言うやつがいるからではないだろうか。
「まあやさしい社会をつくるのにはコストがかかるよねそれはやさしい社会をつくる経費なのさ」とかいってるやつが沢山いればいいのか。
なんにせよコストを無視することもできんわ。つづく。