仕方ないので小説を読む。どうもならんときはひたすら小説を読むに限るのはあじま先生にならった。先達は偉大なり。
「ふたりの距離の概算」。いわずとしれた氷菓のシリーズである。どれも苦い。
苦さだけがほんとうのように見える。
なんというかなんでもいいが他人を糾弾するのはやめておきたい、やめたほうがいい、やめるに限る。他人を嬉々として糾弾し自らを正義の使途であると自任するものは必ずポロっと本音を露わにする。
いわく、この既往症ある老人は、そんなに訓練練習清拭したとて無駄であると。
もちろんいまオレは糾弾されて弱っているのでなんとかしてことばの上であいつらこそが悪であるとしてみたいような欲求にかられて文字を書いているのである。
社会不適合者の日記にふさわしい、怨恨と自己弁護に満ちた文章である。
やつらにできることは日常的ケアだけであり、それはめざましい効果をいくらもっていても、プラスのgift(abilityの面で)をもたらすことは有り得ない。ケアにできることは現状維持までだ。平行線までだ。水平飛行までだ。そこが限界だ。
その先に上がっていく上昇していくものがあるとすれば本人の自己治癒力と意思と、あとはたゆまない日常の負荷の構成だけだ。
やーいやーい。
わかりやすい。いつもこうやって日々の愚痴をWEBに垂れ流してきた。そんなこんなで。
ああ小説の話を全然書いていなかった。でも読む方が面白い。読め読め。