読書感想 finalvent「考える生き方」

finalvent氏の「考える生き方」を読みおわった。途中、家族子育ての章で猛烈な悔しい気持ち(何故オレはこの境遇にいないのか!)になった。羨望である。
 しかし読み進めるうちに勇気になってきた。
 ツイッターにて、氏は、いろいろなツイッター民がこの書を読み終えた感想をツイートしたりブログで感想を書いたりしたものをRTしている。いろんな人がこの書を読んでいることが分かる。
 そうしてみると、一冊の書を巡って、いろんな市民が、考えることを行なっていると知れる。まさに考える生き方。
 オレが何故勇気を得たかというと、この書に出てくる様々な事象、地名、考え、メディアの名、関わった運動、その他について、親しみを覚え、追体験したくなり、また将来においてオレもまた老齢になったときに、果たして何を思うか、そのときにこの書のことを思い出すことで助かるところがあるのではないかと。思った。其れが勇気につながる。
 こういう感覚は高校以来ずっと読んでいる橋本治でしかかつて感じたことがなかった。
 文体を真似したくなるのも同じである。恥ずかしい。
 最も大きく感じたのは、たいていの学問は欧米の教科書を読めというところと、問題を考えるにあたって知識があってこそ問題の複雑さが分かるのでそう簡単にスッパリ裁ち切った回答を出すような態度でいてはいけない、の2点である。
 オレの理解したところで書いているので混乱した日本語で申し訳ございません。
 学問は欧米の教科書で。入門を。
 そうなのかなあと思う。オレは大学出るときに就職したくなくて大学院を受けたがことごとく落ちてギリギリで就職した人間なので、ちゃんとした学問をやったことがない。しかし大学に行けた事は良かったと思う。学問をしている人間に触れる事ができたからだ。同級生だけど。
 物を考える、疑問を持つ、調べる、考える、その繰り返しで色々に理解が進む。
 理学療法士の専門学校に入るまでは、生理学がこんなに面白いとは思ってもみなかった。運動学、解剖学もしかり。
 考えることは一生続くし、それは敗者の人生さえも豊かにしてくれる、と、この「考える生き方」に書いてあったので、それで、オレも大丈夫かもしれないとちょっと思った。ソレが勇気ということだ。
 そう考えると、あらゆる事象に「オレ何にも知らないからまず基本から調べて知ってみるよ」という態度でことにあたり、時評を積み重ねていった橋本治のことが改めて思い出されるのであった。あと多部門にわたる著作。美術、編み物、日本古典文学、日本近世文学、江戸、経済、女性論、男性論。そして本業は小説家。
 
話がそれた。なんというか、「読んだら好きになってしまい、その人の考え方が読者の生きる姿勢にジワジワと染み込んでくるような感覚」と云いたかったのである。
 それは勿論、いい読書だと思うのだ。