いろいろあるが朝の起床がおかしかったのでリズムくずれて午後眠いということだった。しかしアレだ。体幹ぐにゃぐにゃになってしまうのだなあ。おそろしいことよ、臥床。
惡の華、08話。
すげえわイイわ。まず前半のただ朝の暗いようなまち(桐生)を歩く二人、ただ歩くし無言だし音楽はアンビエントだし不安だし。すばらしいよ。長すぎるもの。この無言が。 そして後半、学校にいく、皆さわぐ、誰もその犯人が春日だとはわからなかったが佐伯さんは分かってしまった、そしてその事実を春日につきつける(以下次回)。
つきつける。
素晴らしいなあ、どこにも逃げ場はないんだよ。すんばらしい。次回がまちきれないぜ、死なないで生きるぜ。
車で外回りしつつ菊地夜電波をきく。ノってるなあ。同時間帯一位になって他局からねらわれる菊地氏。はははは。そろそろやめちゃうかもね。
音楽は感情を操作するためのおそらくは最も優れた道具である
という言葉が忘れられない。言葉よりも優れている。なにしろ言葉がわからなくても耳はあるし、耳の感じる快不快というものがあるのだ。
そしてもうひとつは「壁画、絵文字の類は”言語”ではありえない、なぜならそれはどのように発音したらいいか決定できないからだ。言語たる定義は形式(規則)と発音があることだ」ということ。
文字のない言語はあるが、自然言語である以上必ず発音があるし、規則もある。
音楽には発音がある(ない場合もある)が規則がない。
と書くと、その「規則(形式)」とはどういう概念を指すのだね、というあたりに話がいってけっこう混乱。こみあっている。