さわやか自然百景。すばらしい。ニセコの山、花の山。自然は素晴らしい。そこに人間がいないからだ。語りはとうぜん村上里和アナ。いい声だなあう。
そういう自然を見にいくだけでも素晴らしいと思う。
昨日のよるに酔っぱらって書いた日記にて休日を一人ですごして日記を書かないとパチンカスとアル中になると書いてあるが、それは比喩だ、たとえだ。しかし真実でもある。微妙。
オレがラジオききまくるのはラジオの声に耳を傾けるため(傾聴)だし、日記かきまくるのはオレの心中の声と対話するためだ。
昨日はあらためて猫物語白5話をみかえしていた。本人、翼ちゃんのこころの中にあるあったいろいろな感情、それをないものとして押さえていると怪異を生みだしてしまう。嫉妬。いまさら家族をやろうとする両親への、嫉妬。かなえられない恋心。あるものはある。
だからオレだってべつにさみしいとか思ってもいいのだ。誰かと会話したい、もっと会話したいなあ、と思ってもいいのだ。それを口にするのもいいわ。そのあとはそのあとの話である。
いやほんとパチンコはこわいものでね。という話を客先できいてきたのである。どんな田舎にもパチンコ屋が存在して、狭い経済をかきみだす。競馬よりももっとあたまつかわないギャンブルである、賭博。あとアル中。アル中のいいところは飲んでいる間だけは頭をつかわないようにできるからである。もっと進むと多幸感など全能感などをもとめてハードドラッグになるのかね。でもアルコール自体がかなりつよいものだしなあ。
そうやって長すぎる人生の中でごまかしが必要なのである。オレにとってのアニメと漫画のようなものだ。
しかし漫画さえもときに「それは漫画だ」と思ってしまうことがある。とくに疲れているときや、考えごとがあるときには漫画に集中できない、すると書く感想が短くなる、そういうことだ。