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読書。
「アル中病棟 失踪日記2」吾妻ひでお著。
 
まじめな話、オレは、著作を書いている人で、まじめな状態で「他人と話すのはきらい、家族でも」と言う人をはじめて見たのである。
 アル中治療における、セルフケア自己評価表というのがあり、これがこの本のカバー裏にあるのである。本人自筆。
 本人をさらけ出すのにこれ以上のものはない。
 そこにはこうある。   (引用)
 
6)孤独とつきあい
家族:うまく溶けこめない(自分から拒否している部分もある)→自分の部屋にこもらず、なるべく家族といっしょにすごしたい
 
会社(職業の意味でいいと思う):経済的な面であせりがある→以前にも妻が仕事をし、自分は家事をしていたことがあったが続かなかった
 
友人:いない→付き合いたくない
 
近隣:知らない→わからない
 
異性:話が出来ない→無し
 
怒りのコントロール:ため込んで、変な行動にはしる→今さら直らない
 
ひとりでいる力:ある→現実を見つめるように、社会的人間になりたいようななりたくないような 
 
(引用おわり)
 
 どうだろうか。オレはこれを読み戦慄した。しかもこれは、「入院前」と「現在」の、「現在」の方なのである。アルコール依存症は不治の病であり、なおらず、飲酒欲求は消えず、ひとたび飲酒すればスリップが起こる、その恐怖もあるだろうし鬱との戦いもある。体力もいるだろう。
 
 おりしもcakesではオダジマ氏と中川氏がアル中対談しているのである。
 
 アル中は一人の力で立ち直るのは絶対的に無理なのだ。
 
 オレがどうしてこんなにアル中に興味をもって調べているかというと、
 
 いやそれだけではないな。オレの感じた戦慄である。「友人:いない」。オレにもいないよ。いや、遠くにはいるのかもしれない、昔の知り合いはいる、しかしここにはいない。誰もいないのだ。真実そうなのである。
 
 そしてそれでも生きているのである。そして、今のところまだアル中ではないしその他の精神疾患でもない、と自分では思っている。先のことはわからない。しかしなんだか図太く生きているように見えることが不思議なのだ。何が発症してもおかしくない気がしているのである。
 
 それでもこの日記で何回も何回も書いているが本に小説に漫画に音楽に映画にとてもとても救われているのである。
 
 関係性の病はもっている。オレが一つの職場に長くいられないのは関係性の病だからだ。嫌い病である。人間が嫌いになるのである。
 
 そのあたりでまたしてもcakesで恐縮だがアドラー心理学の連載が新しい局面にはいったので読むことにする。週150円で4週600円。しかしオレは金はらうからには読みこむよ。とことんしゃぶってやる。
 
 あとは尊敬する人をまねするくらいか。伊集院さんのように津々浦々を旅することはかなわないけどそれでも。